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先日京都で買った羽生善治著の『決断力』を読む。13日にT氏から返ってきた本(大崎著の『将棋の子』)を見て、また将棋に関する本でも読んでみようかなと思って。私は小さい頃から将棋を好き好んでやっていたせいもあって、将棋の考えというものが今の自分にもそれなりに影響してきているような気がする。実際将棋の考えと現代の考えとが相通ずると思うところもあるし、現に今の自分の思考に取り入れているところもある。もちろん、これは将棋に限ったことでもないとは思うのだが、将棋は一つの考えの基盤になりうるものだと思う。
いきなり話題をかえるが、芸術と科学(と文学)にはいくつかの類似点を見いだすことができると思う。このことに関しては、いつぞに語ったと思うので、あまり語ろうとはおもわないが、寺田寅彦も同見解だったように思われる。一番顕著なのは、何かを表現するという意味で。それは例えば、音楽は、その表現を音に求め、美術は、その表現を絵画に求め、文学は、その表現を文に求め、物理学者は、(自然を記述するものとして)その表現を数式にもとめる。音楽や美術は、記述するものとしてより人の感情や個性というものに重きを置いているような気もするが、科学に関しても(客観性を重視するとはいえ)そこに人の個性というものがありありと出てくる。また表現の仕方にも、物理の拘束する条件はいくらか強いと思うが、音楽や美術に関してもそれなりの法則やルールがある。じゃ、芸術って何だ?もっとも端的に言うと、五感に直接訴えて表現するもの、表現をより自由な形で求めているものがいわゆる芸術だろうと思う。曖昧な点もあろうが、ここでは全く独立ではなさそうだという程度での理解。こう考えていくと、将棋は、その表現を棋譜に求めている気がする。
芸術や科学や文学は、それをやっている人を見ていると、その学問的思想がやっている人にバックグラウンドとしての影響力をもつように思われる。そう考えていくと、将棋の考えも思想の一つとして独立しうるものだと思う。将棋をやっていて思うこと、やっていて思ったこと。漠然としすぎて、どうも文として表現できないものもある。羽生さんの本を読んでいると、その曖昧な自分の中の(ア)イデアの本質の一端をかいま見ることができる気がする。あー、なんか今日は疲れたなぁ。こんなもんで終わろう。
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