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ここ数日は小説にこっております。研究生活がどうもうまくいかなくなると、本を読み出す傾向があるようで、逆に、本を読み出すようになると、要注意かと思います。ただ、なかなかそこには歯止めが利かないのですがね。
本を読むということは、自分のうちにあるわからないことに対する解答を求めて行う行為だろうと思います。人は思想を求め、それに自らで解答が与えられぬとき、わらをもすがる思いで、本を読んだり、宗教に走るものではないでしょうか。それはほとんどは自覚的ではないと思いますが、そういった側面があるものと思います。本を読むことで、それに対する解答が得られたとき、そこで話は完結しますが、それでも得られないときは、むやみやたらと乱読を繰り返すはめになるでしょう。
もう一つ側面があるとすれば、よく言われる通り、本を読むことで人の追体験をするというものです。思想というのがその人の過去を良く説明するための考えであるとするならば、上の考えがよく当てはまると思います。(一応言及しておきますと、この話をすると、人から思想というのはその人の過去や経験を説明するためのものではなく、もっと普遍的なものといったような意見を聞くことがあります。その意味で、ここは是非もあろうかと思います。)
・・・と、何かわけの分からないことをこまごまと申し上げた気がしてきました。このままでは落ちが無いので、説教じみたことを申しますと、本を読むという行為は、問題解決のツールとして使うべきだという点です。自分の中で疑問に感じることも無く、むやみに本を読んでは、いささか教養(強要)主義とでも言うべきものになってしまいます。そうなったとき、本を読むという行為は、自分の自尊心を高めるだけのものになり、多くは衒学的に語らしむるものになってしまいます。それは誠につまらないことであると、いまひとつ、自戒したいと思います。
さて、寝るか。
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