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ここ数日は実家に戻っていた。実家にいた間に、高校野球の予選を観戦をした。やはり野球はいい。メンバー一人一人のチャンスが限られているあたりがいいのだと思う。攻撃では、一試合につき自分が打席に立つのはせいぜい3、4回。それがくるまでは、メンバーを信じてじっと待つ。守備においても自分のところに玉が飛んでこなければ、どうすることもできない。だから自分に出番が回ってくるまでは、じっと待って、いざ自分の出番が来たときに一気に力を発揮する。
そういえば、相撲では露鵬と千代大海とが取り組み後に一悶着起こしたらしい。それをマスコミを筆頭に叩いているし、相撲は一礼に始まり一礼に終わるとか言うし、日本人はこういう静動静というのに美徳を感じているんだろう。だから、静動動は嫌うのである。静動動を好む例は他にもある。例えば、それは芭蕉の句にも見て取れる。「古池や蛙飛び込む水の音」なんていうのは、静動静がはっきりしている。野球にもその静動(静)を見て取れる。だから、日本に野球が根付いたのだと思う。
しかし、高校野球が自分を含め日本人に愛されているのは、その静と動というのもあろうが、それ以上に散り行くものの美しさを感じるからであろう。高校野球で勝ち続けることができるのは、わずか一校。数学的に考えたら、その一校になる確率は極めて低いが、勝負をしているときは、当人たちはそんなことを微塵も感じていない。まぁ優勝することまでは考えて無くても、少なくとも一戦一戦勝つ気で戦っている。それでも、勝負は残酷で一戦終わるたびに、一校がかならず夢破れる。それを目の当たりにするとちょっと胸を打たれる。従来あまり映画を見ないし、感動するような小説を読んだりはしないが、この高校野球の特に予選だけは、どうも毎年見たくなる。あまたのつわものどもが現れては消える、それを目の当たりにしたいからである。そんなことを友人に言ったら、趣味が悪いとか言われてしまったわけではあるが。
ちなみに、自分の研究の発表にこれを応用してはならないと思う。この手プレゼンは一気呵成に行かなければ、それこそ一気呵成に教授連にかみ殺されてしまうから(笑)健全な物理の立場としては、諸他様々な方から意見を広く求めるべきだと思うが、ある種学会とかは戦いの場だと心得ているから。なんか、「アカデミックな場は見栄とはったりだ」みたいなこと言ってるみたいで、こんなこと言ったら怒られるかな。
なんか、いろいろ書こうと思ってたんだけど、うまくまとまらなかったなぁ。今回は、なかなかまとまらなかったから、ちょっと時間かけ過ぎてしまったなぁ。
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夕方頃から研究室で一睡。起きたら深夜で、もうすぐ夜明けと。眠くて仕方ない。
昨日、「作用(S)とエントロピー(S)って近い概念なんじゃないか」ってKさんにふったら、「それはラグランジャン(L)と長さ(L)が同じって言ってるようなものだよ」と軽く揶揄されてしまった。(←あ、もちろん、悪気のある言葉だと思ってませんし、物理的な意味で同じ概念であるとは現段階では言えないと思います。)古典統計では平衡分布がエクスポネンシャルの肩にエントロピーがのっていて、経路積分では分布のようなファクターに同様にエクスポネンシャルの肩に作用がのっている。その形の類推からそう思ったんだけど、経路積分の方では、虚数も肩に乗っていて、どっちも同じであるというには、物理的な意味で「何のこっちゃ」って感じになる。後に福井先生に同様の質問をぶつけて、「虚数時間を考えると、形式的には統計力学と量子力学をつなぐことはできる」というようなことを伺うことができたが、やはり物理的な解釈という意味では難しく感じるし、福井先生もそう言っておられた。稚拙ながら虚数時間についてはよく知らなかったのでその周辺を調べてみると、ザイマンでも”直感的な「物理的」解釈に対応することができない”(p120)と似たような記述を見ることができた。でも、意外と対応していることもあるのではないかと思う。ここからは憶測に過ぎないが、例えば、最小作用の原理のようなものが準静的過程に対応していたり、Feynmannのプロパゲータが輸送方程式に対応していたり、もっと突っ込むと第二法則に対応するようなものは何かとか。そういうのを考えていくのも面白いんじゃないかと思う。というか、それが面白くなっちゃって、数値計算のバグ取りをほっぽらかして経路積分の勉強したり、その周辺知識をまとめたりしていた訳だが。自分がやってて、面白く感じちゃったんだから、発表内容をまとめるどうこうは二の次・・・とかいってると、学会の発表ができなくなる、ってか、そうなりそう(泣)しかたないけど、うーん、くそぅ。

    ****    ****

茨城大学の図書館で、傘の盗難があったそうです。何やら、盗まれた傘は交通事故で亡くなった兄の遺品だったらしく、張り紙をたてて探していました。私も何度かあそこの傘置き場で傘をとられているので、おそらく今回の件は氷山の一角が露呈したにすぎないことでしょう。傘が無いからといって、他の人の傘を盗むというの言語道断、卑劣極まりない行為ですが、例え自分の傘が盗まれたからといって「誰かが間違えてもっていったのだ」と考え、他の人のものを使う(盗む)のも良くないと思います。(だって、それを考えていったら、一人が傘を盗んだことで、全員が違う傘を使うことになるじゃないですか。誰かがそれをやめなきゃいけないんです。私も傘が盗まれたときは、決して他の人のを盗まず、雨に濡れながら家まで帰りました。)そういうところにおいておく方が悪いと盗んだ人は言うでしょうが、そんな論理を今回も適応できるのか、はなはだ疑問です。兄の遺品を奪うつもりは無かったろうとは思いますが、盗んだ人は恥を忍んででも、申し出て、謝罪すべきです。(少し説教じみてしまったかな。)
なくなったかさが、もとにもどりますように。
うーん、あとちょっとのような、そうでもないような。
久しぶりに復活。なんか知らないけどハードで、コロキで寝たり、坂田研で寝たり、なんか久しぶりに家に帰った気がする。やはり、書を読むよりは、研究をする方が楽しい。こうして研究をできることにちょっと幸せを感じる今日この頃。ちょっと、だけどね。
坂田研のGさんの誘いでゼミをするも、なんだか個人勉強会という感じ。吉森先生の講義ノートやZwanzigを復習したり。参考書を比較しながら読んだり、勝手に問題を設定したり、以前に詳しくやってなかったことをやったり、予想以上に勉強になった。このまま周辺知識を一気に整理しちまうというのも一興かも。まぁ、学会の予稿集の締め切りとかを考えると、そう悠長にやってる暇もないんだけど…。
ちょっと前から、「自分のできることとできないことを知る修士課程」という言葉を反芻していた。修士一年を終わって、ありありと感じる。なかなか深みのある言葉だ。よっしーさんに、それに対して博士はどういう時期ですかねぇと聞いたら、「自分のできることをやる博士課程」とおっしゃっていた。なかなかかっちょいいことを言うんだなぁ。なかなか重みのある言葉だ。
いろいろ書きたかったけど、眠いのでもう寝ます。
ここ数日は小説にこっております。研究生活がどうもうまくいかなくなると、本を読み出す傾向があるようで、逆に、本を読み出すようになると、要注意かと思います。ただ、なかなかそこには歯止めが利かないのですがね。
本を読むということは、自分のうちにあるわからないことに対する解答を求めて行う行為だろうと思います。人は思想を求め、それに自らで解答が与えられぬとき、わらをもすがる思いで、本を読んだり、宗教に走るものではないでしょうか。それはほとんどは自覚的ではないと思いますが、そういった側面があるものと思います。本を読むことで、それに対する解答が得られたとき、そこで話は完結しますが、それでも得られないときは、むやみやたらと乱読を繰り返すはめになるでしょう。
もう一つ側面があるとすれば、よく言われる通り、本を読むことで人の追体験をするというものです。思想というのがその人の過去を良く説明するための考えであるとするならば、上の考えがよく当てはまると思います。(一応言及しておきますと、この話をすると、人から思想というのはその人の過去や経験を説明するためのものではなく、もっと普遍的なものといったような意見を聞くことがあります。その意味で、ここは是非もあろうかと思います。)
・・・と、何かわけの分からないことをこまごまと申し上げた気がしてきました。このままでは落ちが無いので、説教じみたことを申しますと、本を読むという行為は、問題解決のツールとして使うべきだという点です。自分の中で疑問に感じることも無く、むやみに本を読んでは、いささか教養(強要)主義とでも言うべきものになってしまいます。そうなったとき、本を読むという行為は、自分の自尊心を高めるだけのものになり、多くは衒学的に語らしむるものになってしまいます。それは誠につまらないことであると、いまひとつ、自戒したいと思います。
さて、寝るか。
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