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速水
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男性
職業:
生保社員
趣味:
テニス、将棋、投資
自己紹介:
物理を勉強してました
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今日も論文読み。今日も無事ノルマを達成し、エントリーシートの作成へ。エントリーシートも最初は何を書いていいかわからなかったが、マニュアルやネットのものを参考にして、試行錯誤を重ねてきた結果段々といいものが書けてきたように思う。今振り返ってみて、これまで結構いろいろなことをやってきたなと思う。短期留学やボランティア、勉強会の企画やセミナーの世話係、将棋やテニスなどの部活動、生徒会活動やアルバイト、あとまぁ卒研か。これまでのやってきた結果をみてみるとだんだん自分がすごい人間のように錯覚するが、人間えてして悪いことは忘れようとするし、世の中上には上がいる。やっぱ俺も凡人かもなぁ。
エントリーシートはさておき、A4一枚の研究概要に非常に苦労を強いられている。というのも、今自分のやっている研究と企業側でやっている(利益に結びつくような)研究とでなかなか接点が見出せないのだ!基礎研究というのは、どうも直接的に社会に還元されない。それを痛感した。私のやっている分野(非線形非平衡統計力学)は比較的社会の影響を受ける方だと思っていたが、一つの研究テーマを社会に還元するといったときにはかなり苦労を強いられるようだ。もちろん、研究で培った手法とかは結構いきてくるんだけど、でもそれじゃ研究概要としては弱い。なんとか自分の研究と相手企業の研究とで直接合致する点を見出さなくては…!それと、企業の研究職に就くといったときに、やっている内容と自分の特性をしっかり見極めなきゃいかんと思った。俺も修士一年とは言え、研究という舞台に放り出されて約2年。自分の適性ぐらいそろそろ感づいてくるはずだろう。その辺も頭に入れておかなきゃ、(仮に)就職した後に苦労するんだろうな。どんな優良企業であっても。なんとか明日中に研究概要を書ききれるといいんだけど…。もちろん、論文のノルマも達成します。
エントリーシートはさておき、A4一枚の研究概要に非常に苦労を強いられている。というのも、今自分のやっている研究と企業側でやっている(利益に結びつくような)研究とでなかなか接点が見出せないのだ!基礎研究というのは、どうも直接的に社会に還元されない。それを痛感した。私のやっている分野(非線形非平衡統計力学)は比較的社会の影響を受ける方だと思っていたが、一つの研究テーマを社会に還元するといったときにはかなり苦労を強いられるようだ。もちろん、研究で培った手法とかは結構いきてくるんだけど、でもそれじゃ研究概要としては弱い。なんとか自分の研究と相手企業の研究とで直接合致する点を見出さなくては…!それと、企業の研究職に就くといったときに、やっている内容と自分の特性をしっかり見極めなきゃいかんと思った。俺も修士一年とは言え、研究という舞台に放り出されて約2年。自分の適性ぐらいそろそろ感づいてくるはずだろう。その辺も頭に入れておかなきゃ、(仮に)就職した後に苦労するんだろうな。どんな優良企業であっても。なんとか明日中に研究概要を書ききれるといいんだけど…。もちろん、論文のノルマも達成します。
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新年明けましておめでとうございます。
12月からしばらくぶりに日記を再開しました。最近は進路のことで頭を思い悩ますことも多く、日記を休みがちになってしまいました。ですが、今日からまた日記を更新していきますので、今年もよろしくお願いします。
今日は、授業始め。早速朝からゼミの準備でてんやわんやで、ゼミが終わったら中川先生に進度状況の報告。近頃就活関連のことばかりで、研究がちっとも(まったく?)進んでいなかったために、お叱りを頂く。いたしかたない。現状では、就職が第一希望とも決めかねている状況。2足草鞋を履くと決めた以上、どちらか片一方と言うわけにもいかない。
これまで会ってきた先生方を見てみても、どんなに雑用まみれになってきても、しっかり仕事(研究)をしてきている方ばかりだ。私の隣人かて、かくありき。そんな中で、自分一人が悠長なことを言っていてはいけない。…とはいえ、なかなか思うようにいってはいないのだが。
今日はなかなか勉強した。やはり、物理は面白い。明日からも、気合をいれていかないとな。
12月からしばらくぶりに日記を再開しました。最近は進路のことで頭を思い悩ますことも多く、日記を休みがちになってしまいました。ですが、今日からまた日記を更新していきますので、今年もよろしくお願いします。
今日は、授業始め。早速朝からゼミの準備でてんやわんやで、ゼミが終わったら中川先生に進度状況の報告。近頃就活関連のことばかりで、研究がちっとも(まったく?)進んでいなかったために、お叱りを頂く。いたしかたない。現状では、就職が第一希望とも決めかねている状況。2足草鞋を履くと決めた以上、どちらか片一方と言うわけにもいかない。
これまで会ってきた先生方を見てみても、どんなに雑用まみれになってきても、しっかり仕事(研究)をしてきている方ばかりだ。私の隣人かて、かくありき。そんな中で、自分一人が悠長なことを言っていてはいけない。…とはいえ、なかなか思うようにいってはいないのだが。
今日はなかなか勉強した。やはり、物理は面白い。明日からも、気合をいれていかないとな。
しこうがぶつりじゃねぇー・・・。
免許の更新をした。免許の更新で一番気になるのは、あの写真。朝からちょっと気合を入れ髪型セットして、免許センターに突入。やはり、自分の壁は越えられず…(笑) 写真を写す係りの人に声をかけられた。曰く「男の本当の味がでてくるのは24,5から」とのこと。ふむ、確かにその年代になってくるといよいよ社会に出てくる人が増えてくる。それとともに社会人としての自覚が出てくるって事かな。
俺も24になって、ちょっと、変わった。というか、院生になってからかな。はやりの曲も聞かなくなったし、ルックスにもあまり気を使わなくなってしまった。読む本も雑多なものが増えてきたし、社会的な考え方も固定化されつつある。(←ここはまだまだフレキシブルに行きたい。) 社会人としての自覚もまぁまぁ出てきた。でも、人間的に味が出てきているとはまだまだ思えない。24,5才は一つの変遷期であることはそうだと思うけど、そこを人間的な味に変えるものって何かな?ってか、男の味って何だ?よくわからなくなってきたので、もう寝ます。今日はちょっとオツカレーションなんで。
俺も24になって、ちょっと、変わった。というか、院生になってからかな。はやりの曲も聞かなくなったし、ルックスにもあまり気を使わなくなってしまった。読む本も雑多なものが増えてきたし、社会的な考え方も固定化されつつある。(←ここはまだまだフレキシブルに行きたい。) 社会人としての自覚もまぁまぁ出てきた。でも、人間的に味が出てきているとはまだまだ思えない。24,5才は一つの変遷期であることはそうだと思うけど、そこを人間的な味に変えるものって何かな?ってか、男の味って何だ?よくわからなくなってきたので、もう寝ます。今日はちょっとオツカレーションなんで。
先日京都で買った羽生善治著の『決断力』を読む。13日にT氏から返ってきた本(大崎著の『将棋の子』)を見て、また将棋に関する本でも読んでみようかなと思って。私は小さい頃から将棋を好き好んでやっていたせいもあって、将棋の考えというものが今の自分にもそれなりに影響してきているような気がする。実際将棋の考えと現代の考えとが相通ずると思うところもあるし、現に今の自分の思考に取り入れているところもある。もちろん、これは将棋に限ったことでもないとは思うのだが、将棋は一つの考えの基盤になりうるものだと思う。
いきなり話題をかえるが、芸術と科学(と文学)にはいくつかの類似点を見いだすことができると思う。このことに関しては、いつぞに語ったと思うので、あまり語ろうとはおもわないが、寺田寅彦も同見解だったように思われる。一番顕著なのは、何かを表現するという意味で。それは例えば、音楽は、その表現を音に求め、美術は、その表現を絵画に求め、文学は、その表現を文に求め、物理学者は、(自然を記述するものとして)その表現を数式にもとめる。音楽や美術は、記述するものとしてより人の感情や個性というものに重きを置いているような気もするが、科学に関しても(客観性を重視するとはいえ)そこに人の個性というものがありありと出てくる。また表現の仕方にも、物理の拘束する条件はいくらか強いと思うが、音楽や美術に関してもそれなりの法則やルールがある。じゃ、芸術って何だ?もっとも端的に言うと、五感に直接訴えて表現するもの、表現をより自由な形で求めているものがいわゆる芸術だろうと思う。曖昧な点もあろうが、ここでは全く独立ではなさそうだという程度での理解。こう考えていくと、将棋は、その表現を棋譜に求めている気がする。
芸術や科学や文学は、それをやっている人を見ていると、その学問的思想がやっている人にバックグラウンドとしての影響力をもつように思われる。そう考えていくと、将棋の考えも思想の一つとして独立しうるものだと思う。将棋をやっていて思うこと、やっていて思ったこと。漠然としすぎて、どうも文として表現できないものもある。羽生さんの本を読んでいると、その曖昧な自分の中の(ア)イデアの本質の一端をかいま見ることができる気がする。あー、なんか今日は疲れたなぁ。こんなもんで終わろう。
いきなり話題をかえるが、芸術と科学(と文学)にはいくつかの類似点を見いだすことができると思う。このことに関しては、いつぞに語ったと思うので、あまり語ろうとはおもわないが、寺田寅彦も同見解だったように思われる。一番顕著なのは、何かを表現するという意味で。それは例えば、音楽は、その表現を音に求め、美術は、その表現を絵画に求め、文学は、その表現を文に求め、物理学者は、(自然を記述するものとして)その表現を数式にもとめる。音楽や美術は、記述するものとしてより人の感情や個性というものに重きを置いているような気もするが、科学に関しても(客観性を重視するとはいえ)そこに人の個性というものがありありと出てくる。また表現の仕方にも、物理の拘束する条件はいくらか強いと思うが、音楽や美術に関してもそれなりの法則やルールがある。じゃ、芸術って何だ?もっとも端的に言うと、五感に直接訴えて表現するもの、表現をより自由な形で求めているものがいわゆる芸術だろうと思う。曖昧な点もあろうが、ここでは全く独立ではなさそうだという程度での理解。こう考えていくと、将棋は、その表現を棋譜に求めている気がする。
芸術や科学や文学は、それをやっている人を見ていると、その学問的思想がやっている人にバックグラウンドとしての影響力をもつように思われる。そう考えていくと、将棋の考えも思想の一つとして独立しうるものだと思う。将棋をやっていて思うこと、やっていて思ったこと。漠然としすぎて、どうも文として表現できないものもある。羽生さんの本を読んでいると、その曖昧な自分の中の(ア)イデアの本質の一端をかいま見ることができる気がする。あー、なんか今日は疲れたなぁ。こんなもんで終わろう。