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昨日は疲れてしまって、すぐくたばってしまった。その疲れがちょっと残っていたせいか、それとも単なる惰性からか、今日はオフにした。勝手に休みをとれる(作れる)学生の特権みたいな感じで、もう自分の年代で社会に出ている人には少し申し訳ない感じです。そんなわけで、今日はただ漫然と読書していたり、買い物していたり、部屋を掃除していたり、衣類を洗濯していたり、まぁ、そんなことを雑然としていました。
なんかよく思うことなんだけど、生活観がない日記だなぁって思うんだよね。こんな料理思いつきました!とか部屋の装いを変えました!とかごみを捨て忘れた!とか、そういうノリの日記でもいいかなぁ〜って思うんだけど、なんかそういう日記もいまいちかなぁと。やっぱ、社会の中の一個人として何がしかの情報を発信したいって思ってて、それが個人の生活観ってなってしまうと、どうもナンセンスなんじゃないかな。う〜ん、まぁ、それじゃ意味がないって言うのはいいすぎな気もするけど、俺の主義じゃないかな。そんなわけで、もう少し全うな情報発信をしていきたいわけだけど、でもかといって、こんな物理に特化した日記を書こうとしていたわけでもないんだよね。日記を書いていたら、自然とそうなっていたというだけで、それが意外にも自分のためになっていたりしてて。
書く内容を絞るということはした方がいい気がする。でも、それで自分に正直になれなかったら日記じゃないよね。自分から発信できる意味のある情報は何か…、改めて考えてみるとよくわからんな。初めて自分のホームページを作ろうとしたとき、そんなこと考えていた気がする。なんか、うまくまとまらなかった。日記書いていることとは別に、他の事を頭で考えているからだろうなぁ。
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やーばい、発表大丈夫かなぁ。明日は研究室に泊り込みかなぁ…。
今日は、主にテニスをした。茨大メンバーとは久しぶりということもあって、面白かったし、いい汗を流した気がする。Kさんも言っていたが、こういう風に研究をしながら適度に体を動かす娯楽がある環境っていうのはいいもんだ。都会ではテニスをするにもお金がかかる。そういった意味で、この茨大の環境は非常にいいものなのかもしれない。なんか、最近娯楽肯定主義的な発言が多過ぎる気がするなぁ。
今日も好き勝手に発表のまとめをしていたわけだが、気づいてみると発表の本丸と位置づける郵政民営化…ではなく、GLEの数値計算についてのまとめがなかなか進んでいないことに気づく。発表内容の精選や発表の流れ、関本理論の主要部分についてはある程度まとまってきたが、明日のうちにGLEの数値計算についてをしっかりまとめよう。Langevin方程式の導出やメモリーカーネルがべき乗になるという実験の環境等まで手が伸びればと言うところだが、果たして…?それにしても、今回は自分でやったことと言うよりは、レビューの内容が大半を占めている。ここは正直、痛恨だ。レビューもしっかり、またその上で自分のやったことと言うのが研究発表の定石なのだが…。ここは反省すべきだ。ただ、八月遊びまくってた割に、よくここまでまとめることが出来たなぁという自己弁護の念もある。まぁ、この場合反省点だけを残しておく方がよさそうか。
明日は、選挙ですね。皆さん投票に行きましょう。私は期日前投票を済ませているわけですが、そのことを友達に言ったら「えらいね」と言われました。ただ、これは違います。投票に行くの当然であって、別にえらいわけでもなんでもないのです。昔日本では選挙などなく、国民の意見を反映させるような政治形態が出来ていませんでした。時代を経て、日本国民に選挙権が与えられたとき(年号を覚えていませんが)、地方の投票所のないところの人は、泳いで海を渡って投票に行ったという話を聞いたことがあります。それほど政治に参加できるということに価値を感じ、うれしく思っていたのでしょう。現代ではそういう気風は薄れ、ポスターやテレビCMを通して投票を呼びかけてまで、投票率向上を狙っているという有様です。投票に行こうか行くまいか考えている方は、私たち国民が政治に参加できるという意義を考えなおしてみてください。また、私たちの意見が反映されず、行政が一部の特権階級の人に握られるということがどういうことか、考え直してみてください。今日はずいぶん説教くさい話になってしまいました。20代前半の若者の小言でした。
ぐっすり眠ったお陰か、風邪もなおり、嘘のような回復。冷房つけたまま寝て風邪を引き、ぐっすり眠ってもとどおり治る。俺の体って、そんなに単純なのかなぁ(笑)
今日も発表の準備。というか、発表の準備と中身の勉強をごちゃ混ぜにやってて、どっちがどっちだかわからない状況がここ数日続いている。今日は今までやった内容を自分なりにまとめるという、やっとまともな発表の準備ができた。とはいえ、まだ発表予定の内容の半分をまとめたに過ぎない。明日明後日で出来る限り内容を拡充し、なんとかボーダーまで届かせないと…!それはともかく、今日のまとめはなかなかうまくいった。知識量は昨日とほとんど変わらないが、論理をすっきり通すことが出来た(気がする)。論文の内容についても先生と議論できて、すこしビジョンをはっきりさせることが出来たし、今後につなげることが出来そうだ。
およそ物理以外にも当てはまることだと思うが、バラバラになっている知識を一つの筋道をたてて秩序立てると言うのは、面白いことであろう。文科系とは異なり、うちらは数式を対象にしてなんとか筋道を通すわけだが、物理は特に数式の意味を考えなければならない。同じもの(同じ量や同じ文字)を表す式でも、表記が変わると意味合いが変わってくる。例えば、x=A,x=Bという2つの式を比較するというだけでも、数学的にはx=A=Bでなんら問題が無いが、物理的には、Aが実験的に出てきた量かとか理論的に出てきた量かということを気にしなければならない。実験的に出てきた量でも、観測の誤差がどのくらい見込まれるのかとか、どの因子が効いてAになるのかとか、オーダーがどうだとかを考えなければならない。理論的に出てきた値でも、果たしてそれが観測できる量なのかそうでないのか、x=Aが現実にはどう表現されるべきかとか等等。またx=Aとx=Bとが結びつくことによって一体何を表すのかといったことを考えねばならない。同じ式や同じデータを見ても人によって解釈が異なり捕らえ方が変わってくる。例えば、ma=FというNewtonの運動方程式を見ても、単に質量mに加速度aをかけると力Fになるんだーと思ったり、力を定義した式だと思ったり、力が働く結果加速度が生じるといった因果関係をそこに見たり、微分方程式(加速度は距離の二階微分)と捕らえたり、さらにそこから種々の物理法則を連想したり、相対論的に修正しなければならんと思ったり、もっと基本的にりんごが落っこちる現象を思い出したり、力がどうして働くんだとか思ったり、とにかく解釈はいろいろだ。それゆえ、論理の構成もある程度の制約はあるにせよ自由にできる。そこが物理の面白さでもあり、難しさでもある。途中で下らんと思って書くのやめたくなったが、中途半端すぎてなんとかオチを作った。
研究室の先輩のKさんにフラクタルの話をふられる。Kさんは(少し前の話だが)俺の卒研の内容を発表した際に、フラクタルに興味をもったらしく、最近になって関心が高まってきたらしい。確かにフラクタルは面白いとは思うのだが、今にフラクタルの勉強をしようというのはどうであろうか…。少し考えさせられてしまった。Kさんも「博物学的に終わってしまうようなフラクタルではなく、…」と言っていたが、う〜ん、ちょっと考えておこう。
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