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前にちょっと考えてたこと。私は比較的環境に適応する能力がある方だと思っているが、適応のさせ方は実際正しいのかどうか。
環境が大きく変わったとき、今まで通じていた論理(やキャラ)が、通じたり通じなかったりする。通じる場合は何も変わる必要がないが、通じないときには、どっちも正しくなるような論理を作らなければならない。ただ、どうしてもどっちにも通じる論理が作れないときに、昔の論理を変えるか、今の論理を変えるかしなければ環境に適応できない。(無論、後者の方が困難である。)こういう、どっちかを立てればどっちかが潰れるっていう二律背反的な構図は、しょっちゅう起こりうる。そういう困難に直面にしたときに、それを容易に回避する方法は、別の自分を作るという方法だ。いわゆる、自分を使い分ける、切り返すって事だと思う。フリーのときの自分、仕事のときの自分、勉強してるときの自分、家族内の自分、恋愛のしてるときの自分、全部それぞれに使い分けてしまうってことだ。そうする事で「こういうケースではこう対応する」という割り切り方をすれば、自分の中で悩む事は少なくなる。単なる思考停止ともとれるが。
ただ、これにも問題点がある。一つには、あまりこれをやってしまうと統一的な見解がつくれないということだ。あまりいろんな自分を作ってしまうと、何重人格もの自分が出来上がってしまって、本当の自分を見失ってしまう事が有るからだ。ただ、いくつもの自分を作っても、所詮自分は自分という思想に立てば、そんな必要はない。それに、そんな全く別個の自分なんてそうやすやすとは作れない。またもう一つは、どういうケースか分類できなければ、対応できないと云う事だ。仕事の自分とプライベートの自分を使い分けられないときなど、その最たる例であろう。特にたちの悪いのは、不可侵の自分を作ってしまって、それが他の自分では対応できず立ち入りを許してしまう場合だ。これは個人的に非常悩ましい。確固たる自分を構築した領域に、あんまりしらないような相手が偉そうにものを言ってきたとき何かは最悪だ。たいていぼかすか逃げるんだが、まぁ、いずれにしてもまともに立ちあってなんてできないよな。
統一的な見解が作れると云うのは、非常に望ましい事だ。それさえできれば悩むような事も無い。ただ、そんな見解なんて一朝一夕で作れるようなものではない。若いうちに出来上がっていると云う事は、それだけいろいろな経験が浅いと云う事だろう。齢を重ねて出来上がってくるもんだと思う。だから、最低限、いろいろな自分をつくってしまうのはある程度までやむを得ない事だろう。それに、新しい自分を作るのは非常に楽だ。おまけに楽しい。相手の知らない自分を、自分のなかで作る事で変な満足感もある。ただ、先の問題点も有るので、あんまりなんでもかんでもという訳にも。どこで、どういう自分を作るかっていうのが大事なのかな。
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