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ひたすら本を読む。教職のレポート作成のため。あと2冊。読みきれるのか?
修論を北大のIさんに渡して、結構前だけどそのコメントが返ってくる。自分の書いた文章に対してコメントを頂けるというのは、まこともってうれしいことで、返信を書いていて楽しかった。やっぱディスカッション不足なのかなぁ。Stochastic Energeticsをやってる人自体あんまりいないからっていうのもあるんだけど、もう少し学内でこれぐらいのディスカッションができると楽しいんだけど。。。一個面白そうな論文を紹介してもらった(harada, Europhys.Lett.70 (1),pp.49-55(2005))ので、あとで目を通そう。今は、3冊目の岩波新書『自由と規律』を読み切ることに専心する。内容は、イギリスのパブリックスクールの話で、いわゆるオブレスノブリージュの話。あと読んだのは、中公新書の『子育て法革命』と光文社新書の『下流社会』。脅威の速読で読み切るぞー。
そうそう、実は自分の中でも少し考えていておぼろげだった点の指摘を受ける。一般化ランジュバンのノイズの時間スケールの話だけど、「一般化ランジュバンの揺動力は、細かい時間スケールまで見ている」言い換えると「長い時間スケールで見れば相関が消える」と解釈できると修論には書いた。また、空間スケールの話では「複雑な系を一自由度の系として簡略化した」言い換えると「内部自由度を記憶関数に押し付けた」と解釈できると修論には書いた。どっちも正しい解釈のように感じるけど、時間スケールではミクロ、空間スケールではマクロでみてるって実はなんか適当だよなぁ。俺はどちらかっていうと空間スケールのイメージを持ってたんだけど、、、となると、「長い時間スケールで見れば相関が消える」が嘘なような気もするけど、解釈によっては、時間スケールをミクロで見ているとも取れる気もする。うーん、よーわからんなぁ。ミクロとマクロが交錯してる。
修論を北大のIさんに渡して、結構前だけどそのコメントが返ってくる。自分の書いた文章に対してコメントを頂けるというのは、まこともってうれしいことで、返信を書いていて楽しかった。やっぱディスカッション不足なのかなぁ。Stochastic Energeticsをやってる人自体あんまりいないからっていうのもあるんだけど、もう少し学内でこれぐらいのディスカッションができると楽しいんだけど。。。一個面白そうな論文を紹介してもらった(harada, Europhys.Lett.70 (1),pp.49-55(2005))ので、あとで目を通そう。今は、3冊目の岩波新書『自由と規律』を読み切ることに専心する。内容は、イギリスのパブリックスクールの話で、いわゆるオブレスノブリージュの話。あと読んだのは、中公新書の『子育て法革命』と光文社新書の『下流社会』。脅威の速読で読み切るぞー。
そうそう、実は自分の中でも少し考えていておぼろげだった点の指摘を受ける。一般化ランジュバンのノイズの時間スケールの話だけど、「一般化ランジュバンの揺動力は、細かい時間スケールまで見ている」言い換えると「長い時間スケールで見れば相関が消える」と解釈できると修論には書いた。また、空間スケールの話では「複雑な系を一自由度の系として簡略化した」言い換えると「内部自由度を記憶関数に押し付けた」と解釈できると修論には書いた。どっちも正しい解釈のように感じるけど、時間スケールではミクロ、空間スケールではマクロでみてるって実はなんか適当だよなぁ。俺はどちらかっていうと空間スケールのイメージを持ってたんだけど、、、となると、「長い時間スケールで見れば相関が消える」が嘘なような気もするけど、解釈によっては、時間スケールをミクロで見ているとも取れる気もする。うーん、よーわからんなぁ。ミクロとマクロが交錯してる。
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わー、だめだー、生きてる心地がしねぇ。よく見ると、日本語のできがひどい・・・。これは相当手直しが必要なんじゃ・・・。なんでこう直前になってふつふつと問題点が湧いてくるんだー。
あー、昨日買った綿矢りさが読みたいよー。
あー、昨日買った綿矢りさが読みたいよー。
今日は教職の試験を乗り切りました。あー、だめだ、ねむぃー。
おとといかな、こんなくそ忙しいはずのときなのに変な風に吹かれて一日だけさぼる。「まったく、何やってるんだ」とは思ったが、どうしてもやる気が起きなかったからしょうがない。修論を書き始めて、しばらくたったときに思ったことなんだけど、自分の書き上げている修士論文と例えば誰かさんが備忘録的にまとめたノートとか例えば誰かさんの論文だとかと比較すると、とてもつたない修論なのではないかと思い、ちょっと途方に暮れたくなったときがあった。自分のやったことの研究社会としての意義みたいなものかな、そんなものが一瞬感じれなくなった。
例えば、某備忘録だが、内容の分量、充実度ともに自分を遥かに勝っている。もちろん、そこには書いてない自分のオリジナリティみたいなものは自分の修論にはあるのと思うのだが、なんかそっちの方が要領よくまとまっているように見えてきてしまう。俺らみたいな研究者としては新米は、先人がやってきたことを当然のように踏襲し学問を押し進めるべきだが、踏襲するどころか衰退してしまっているのではないかと疑心暗鬼になった。
例えば、某論文だが、遥かに自分の視点よりクリアでビジョンがはっきりしているのが分かる。俺がこんな特別な系でやってるけど、いっそそっちの方が見えているなら全部そっちに任せてしまえばいいんじゃないかと至極ぐーたらで馬鹿なことを一瞬考える。LeibnizやNewtonのときのように、同じような理論を同じ時期に考える人たちがいるのは、研究者間ではすごく有名な話だが、そういうのを聞くと果たして自分のオリジナリティって?って考えしまう。そう考えていくと、自分がやらなくても、誰かがやるとかって考えてしまうんだろうな。
と、ちょっとニヒルになってみたりもするのさ。云われるまでもなく、自分の修論は書くこと、それ自体にも意義があるし、出てきた結果の良さや悪さは、まとまっているかいないかは見る人にもよる。そういう多様さを認めろと云っておれば、とりあえず自分の中では説明がつく。それに、この手の研究は誰かがやるではなく、「この俺がやる」とぐらいに思っていれば十分だろう。ちょっと話がそれるが某S先生は、日本の研究者はみんな仲良しで、俺一人が出し抜いてやるといった考えをもっている人が少ない。だからみんなでいいところまでもっていっても、最後の最後には外人に出し抜かれる。とか云っていた。ことの真偽はどうあれ、野心的でいるっていうのは研究者としてはすごく健全な状態なのかな。
そんな中、修論の原稿をIさんが欲しいと云ってきてくれたので、少しでも見せられる状況にしようと思って根を詰めた。リファレンスの充実は、先きにも福井先生から指摘された通り、というか、普通に研究者としてのモラルからここ何日かで充実させた。まだまだ、不十分な点もちらほら見当たるが、あと3日だな。完璧なものに仕上げなくては。もうちょっと物理の研究に関わる話がしたかったんだけど、今日はここまで、またに改めます。
例えば、某備忘録だが、内容の分量、充実度ともに自分を遥かに勝っている。もちろん、そこには書いてない自分のオリジナリティみたいなものは自分の修論にはあるのと思うのだが、なんかそっちの方が要領よくまとまっているように見えてきてしまう。俺らみたいな研究者としては新米は、先人がやってきたことを当然のように踏襲し学問を押し進めるべきだが、踏襲するどころか衰退してしまっているのではないかと疑心暗鬼になった。
例えば、某論文だが、遥かに自分の視点よりクリアでビジョンがはっきりしているのが分かる。俺がこんな特別な系でやってるけど、いっそそっちの方が見えているなら全部そっちに任せてしまえばいいんじゃないかと至極ぐーたらで馬鹿なことを一瞬考える。LeibnizやNewtonのときのように、同じような理論を同じ時期に考える人たちがいるのは、研究者間ではすごく有名な話だが、そういうのを聞くと果たして自分のオリジナリティって?って考えしまう。そう考えていくと、自分がやらなくても、誰かがやるとかって考えてしまうんだろうな。
と、ちょっとニヒルになってみたりもするのさ。云われるまでもなく、自分の修論は書くこと、それ自体にも意義があるし、出てきた結果の良さや悪さは、まとまっているかいないかは見る人にもよる。そういう多様さを認めろと云っておれば、とりあえず自分の中では説明がつく。それに、この手の研究は誰かがやるではなく、「この俺がやる」とぐらいに思っていれば十分だろう。ちょっと話がそれるが某S先生は、日本の研究者はみんな仲良しで、俺一人が出し抜いてやるといった考えをもっている人が少ない。だからみんなでいいところまでもっていっても、最後の最後には外人に出し抜かれる。とか云っていた。ことの真偽はどうあれ、野心的でいるっていうのは研究者としてはすごく健全な状態なのかな。
そんな中、修論の原稿をIさんが欲しいと云ってきてくれたので、少しでも見せられる状況にしようと思って根を詰めた。リファレンスの充実は、先きにも福井先生から指摘された通り、というか、普通に研究者としてのモラルからここ何日かで充実させた。まだまだ、不十分な点もちらほら見当たるが、あと3日だな。完璧なものに仕上げなくては。もうちょっと物理の研究に関わる話がしたかったんだけど、今日はここまで、またに改めます。
どうも佐々先生の「ブログとまってるじゃないか」の一言が効いて、更新する気が出てきた。別に使命感で書いてる訳でもない(?)が、読まれてると思うと更新さぼっちゃいかんなぁとも不思議と思う。相手は1日になぜか500人のアクセスがある「日々の研究」だけど、とりあえず負けないようにシナイとな。って、なんじゃそりゃ?
昨日の健康診断が朝早かったから、これで体内リズムが正常化するかと思ったが、一日で脆くも崩れ落ちる。今日は昼過ぎ(といっても夕方に近い)登校で、現在朝の5時半なり。あー、来年度から正常な人間に戻れるかどうか不安でしょうがない。
修論の手直し。今日はリファレンスの充実化に終始した。前々からやろうと思ってたんだけど、今日福井先生に①話し言葉を直すこと②リファレンスをしっかりひくことを指摘されたのがきっかけでやり始める。文体がふざけているのはさておき、リファレンスがしっかりしてない段階で福井先生に修論予稿を渡したのを後悔する。一度ダメなのが分かると、なんかもう読まれたくない気分になってくる。論文に気づかずにまがいなことを書いて投稿しちゃった場合、もしくはあとでまがいだと分かった場合、すっげーブルーになるんだろうなぁと研究者としての責任感をちょっぴり体感した。①は①で、まぁ、一般に公開する文章で、しかも、形式張ったものだから、厳格な文章にしなきゃいかんというのはわかる。あんまり形式張った文章ってのは好きじゃないけど、ここは仕方が無い。ラフな文章で、伝えたい真意がねじ曲がって伝えてしまっては元も子もないからね。それにしても、結構リファレンスの手直しは時間がかかる。うーん。
昨日の健康診断が朝早かったから、これで体内リズムが正常化するかと思ったが、一日で脆くも崩れ落ちる。今日は昼過ぎ(といっても夕方に近い)登校で、現在朝の5時半なり。あー、来年度から正常な人間に戻れるかどうか不安でしょうがない。
修論の手直し。今日はリファレンスの充実化に終始した。前々からやろうと思ってたんだけど、今日福井先生に①話し言葉を直すこと②リファレンスをしっかりひくことを指摘されたのがきっかけでやり始める。文体がふざけているのはさておき、リファレンスがしっかりしてない段階で福井先生に修論予稿を渡したのを後悔する。一度ダメなのが分かると、なんかもう読まれたくない気分になってくる。論文に気づかずにまがいなことを書いて投稿しちゃった場合、もしくはあとでまがいだと分かった場合、すっげーブルーになるんだろうなぁと研究者としての責任感をちょっぴり体感した。①は①で、まぁ、一般に公開する文章で、しかも、形式張ったものだから、厳格な文章にしなきゃいかんというのはわかる。あんまり形式張った文章ってのは好きじゃないけど、ここは仕方が無い。ラフな文章で、伝えたい真意がねじ曲がって伝えてしまっては元も子もないからね。それにしても、結構リファレンスの手直しは時間がかかる。うーん。