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おとといかな、こんなくそ忙しいはずのときなのに変な風に吹かれて一日だけさぼる。「まったく、何やってるんだ」とは思ったが、どうしてもやる気が起きなかったからしょうがない。修論を書き始めて、しばらくたったときに思ったことなんだけど、自分の書き上げている修士論文と例えば誰かさんが備忘録的にまとめたノートとか例えば誰かさんの論文だとかと比較すると、とてもつたない修論なのではないかと思い、ちょっと途方に暮れたくなったときがあった。自分のやったことの研究社会としての意義みたいなものかな、そんなものが一瞬感じれなくなった。
例えば、某備忘録だが、内容の分量、充実度ともに自分を遥かに勝っている。もちろん、そこには書いてない自分のオリジナリティみたいなものは自分の修論にはあるのと思うのだが、なんかそっちの方が要領よくまとまっているように見えてきてしまう。俺らみたいな研究者としては新米は、先人がやってきたことを当然のように踏襲し学問を押し進めるべきだが、踏襲するどころか衰退してしまっているのではないかと疑心暗鬼になった。
例えば、某論文だが、遥かに自分の視点よりクリアでビジョンがはっきりしているのが分かる。俺がこんな特別な系でやってるけど、いっそそっちの方が見えているなら全部そっちに任せてしまえばいいんじゃないかと至極ぐーたらで馬鹿なことを一瞬考える。LeibnizやNewtonのときのように、同じような理論を同じ時期に考える人たちがいるのは、研究者間ではすごく有名な話だが、そういうのを聞くと果たして自分のオリジナリティって?って考えしまう。そう考えていくと、自分がやらなくても、誰かがやるとかって考えてしまうんだろうな。
と、ちょっとニヒルになってみたりもするのさ。云われるまでもなく、自分の修論は書くこと、それ自体にも意義があるし、出てきた結果の良さや悪さは、まとまっているかいないかは見る人にもよる。そういう多様さを認めろと云っておれば、とりあえず自分の中では説明がつく。それに、この手の研究は誰かがやるではなく、「この俺がやる」とぐらいに思っていれば十分だろう。ちょっと話がそれるが某S先生は、日本の研究者はみんな仲良しで、俺一人が出し抜いてやるといった考えをもっている人が少ない。だからみんなでいいところまでもっていっても、最後の最後には外人に出し抜かれる。とか云っていた。ことの真偽はどうあれ、野心的でいるっていうのは研究者としてはすごく健全な状態なのかな。
そんな中、修論の原稿をIさんが欲しいと云ってきてくれたので、少しでも見せられる状況にしようと思って根を詰めた。リファレンスの充実は、先きにも福井先生から指摘された通り、というか、普通に研究者としてのモラルからここ何日かで充実させた。まだまだ、不十分な点もちらほら見当たるが、あと3日だな。完璧なものに仕上げなくては。もうちょっと物理の研究に関わる話がしたかったんだけど、今日はここまで、またに改めます。
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