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生保社員
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テニス、将棋、投資
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物理を勉強してました
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わー、わー、わー。
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カンッペキに昼夜逆転。あー、ねみぃよー。とりあえず、徹夜恒例(?)の朝マックかなこりゃ。
先日の中川先生のご説法により、徐々にやる気が回復する。ただ今日はちょっと熱っぽいし、鼻水がひどかった。季節の変わり目だし、こじらせたらまずい時期だ。気をつけないと・・・ってか、体調を崩す時点で気合いがたらんな。fgn生成をスキームから根本的に見直す。フィッティングパラメータとかを用意する以前にこういう作業はもっと早めにやっておかなきゃならんかったんだけど、どうもこの辺の話は数値計算がらみの話だからって気乗りがしなかった。だって、「これで計算できんじゃん」って話を、「これじゃここの計算に時間がかかるから、ここをこう変形すれば高速化される」とか「ここをこう見積もることによって高速化しましょう」とかって話ばっかりなんだもん。そんなもんだから、いろいろなスキームが出来上がってきて、いろんな人の名前のスキームが付いて、どれも一長一短で用途に合わせてスキームを変えたり、とにかくよーわからんって感じになっちゃうんだ。って、ぜってーこれ数値計算できない人の言う戯れ言だよなぁ。そんなこと言ってるけどとりあえずつい先日決心したのは、手計算も数値計算も言い訳を言わずにやろうってこと。俺は数値計算に向いてないのは、ここ数ヶ月の実績からも明らかな気もするけど、かといって、やらない訳にもいかん。できないならできないなりに数値計算をしなきゃならん、多分今はそんな時流だ。(こっから、なんで今の時代に数値計算が必要かって話になるとまた膨大な量を書き始めそうだから、とりあえずは置いておく。)それに、数値計算はできないとたかくくって、手計算に突っ走っても、そこで手計算で難なくいくと思うのは思い上がりだろう。いや、ぶっちゃけた話、俺はまだ手計算の方を過信している感はある。(数値計算のセンスのなさから対比してそう思われるだけかもしれないけど。)ただ、手計算にせよ数値計算にせよ、できるであろうことできないであろうことはあって、できないことには、得意不得意に関わらず必ずぶちあたる。そのときに俺はできないんだってにげるんじゃなくて、それを突破する力というか意気込みというか根性が必要なんだろう。そこに自分の可能性というものは考えちゃいけないんだ。きっと。考えるとしたら、研究テーマを選ぶときだろうな。自分のできることを見据えた上で、研究をするための必要な道具が想像できて、やりこなすだけの時間がどれだけ必要かを考え、実行する。センスのいい人は、そんなこと考えずにテーマを選べるんだろうけど、きっとこういう構図になってるはず。あーでも、SS先生が「俺には手計算しか無いんだ」とか「数値計算しかないんだ」って狂信的になれる方がいいとも言っていたな。でも、自分に何ができるのか、何ができないのかを見極める時期が修士だとしたら、まだ自分の可能性を狭める訳にはいかんし、一度決めた研究テーマ、それに必要なものが見えているなら、それらをまっとうせねばならん。
だいぶ話がそれたな、ARMA過程とかYule-Walker方程式とか共分散行列とか勉強したことについて思ったことを書こうと思ってたんだけど、、、まぁ、いいや少し書いちゃえ、ねみぃけど。ARMA過程は時系列解析の話でたびたび出てくる話で、どんなものかはいつぞに読んだ時系列解析の本で知ってはいた。そんとき思ったことは、経済データなり自然現象のデータなり、データフィッティングに使われ、ARMAだったらあの係数をデータから求めて、それで理想的にはデータの裏側にあるものを探るというもの。ただ、ARMA過程のモデリングでどこまでその裏側が探れるかはわからんから、所詮データフィッティングに使われるだけなんじゃないかなぁと。でも、あれを数値計算の道具として考えると、ちょっと使えるって思っうんじゃないかな。データありきのフィッティングというよりは、こういう性質のデータが欲しいってつかうって発想だと思う。最初はYule-Walker方程式はARMAの式を所詮ちょろまかせていじっただけの式じゃんとか思ってたけど、あれはデータから得られやすい相関関数からARMAの係数が求められるということに意味が有る。だから逆に言うと、こういう相関のノイズが欲しいって時にあれが使えるって算段なんだと思う。ちょっとこんなだろうなって雰囲気の話で盛り上がってるから、正しくないかも。まぁ、許して。前に誰かにってか、よくそんなにブログを書けるなぁとか言われると「世論を変えるために書く。ぐらいの意気込みで書いてる。」って答えてる気がするけど、こう見るとまったく読み手には配慮してないよね。内容はぐちゃぐちゃしてるし、でも文章構成考えたら書くの時間かかるし、こういう散文的って言うのかな?よくわからんけど、書き散らす感じが良かったりするのかなとか思ってる。よく有る有名人のブログみたいに無駄に改行して、読みやすくなってるけど内容が軽い奴よりはいいって思ってるんだけど、自分でも見返しててみにくいって思うからなぁ。なんとも。疲れた。眠い。
先日の中川先生のご説法により、徐々にやる気が回復する。ただ今日はちょっと熱っぽいし、鼻水がひどかった。季節の変わり目だし、こじらせたらまずい時期だ。気をつけないと・・・ってか、体調を崩す時点で気合いがたらんな。fgn生成をスキームから根本的に見直す。フィッティングパラメータとかを用意する以前にこういう作業はもっと早めにやっておかなきゃならんかったんだけど、どうもこの辺の話は数値計算がらみの話だからって気乗りがしなかった。だって、「これで計算できんじゃん」って話を、「これじゃここの計算に時間がかかるから、ここをこう変形すれば高速化される」とか「ここをこう見積もることによって高速化しましょう」とかって話ばっかりなんだもん。そんなもんだから、いろいろなスキームが出来上がってきて、いろんな人の名前のスキームが付いて、どれも一長一短で用途に合わせてスキームを変えたり、とにかくよーわからんって感じになっちゃうんだ。って、ぜってーこれ数値計算できない人の言う戯れ言だよなぁ。そんなこと言ってるけどとりあえずつい先日決心したのは、手計算も数値計算も言い訳を言わずにやろうってこと。俺は数値計算に向いてないのは、ここ数ヶ月の実績からも明らかな気もするけど、かといって、やらない訳にもいかん。できないならできないなりに数値計算をしなきゃならん、多分今はそんな時流だ。(こっから、なんで今の時代に数値計算が必要かって話になるとまた膨大な量を書き始めそうだから、とりあえずは置いておく。)それに、数値計算はできないとたかくくって、手計算に突っ走っても、そこで手計算で難なくいくと思うのは思い上がりだろう。いや、ぶっちゃけた話、俺はまだ手計算の方を過信している感はある。(数値計算のセンスのなさから対比してそう思われるだけかもしれないけど。)ただ、手計算にせよ数値計算にせよ、できるであろうことできないであろうことはあって、できないことには、得意不得意に関わらず必ずぶちあたる。そのときに俺はできないんだってにげるんじゃなくて、それを突破する力というか意気込みというか根性が必要なんだろう。そこに自分の可能性というものは考えちゃいけないんだ。きっと。考えるとしたら、研究テーマを選ぶときだろうな。自分のできることを見据えた上で、研究をするための必要な道具が想像できて、やりこなすだけの時間がどれだけ必要かを考え、実行する。センスのいい人は、そんなこと考えずにテーマを選べるんだろうけど、きっとこういう構図になってるはず。あーでも、SS先生が「俺には手計算しか無いんだ」とか「数値計算しかないんだ」って狂信的になれる方がいいとも言っていたな。でも、自分に何ができるのか、何ができないのかを見極める時期が修士だとしたら、まだ自分の可能性を狭める訳にはいかんし、一度決めた研究テーマ、それに必要なものが見えているなら、それらをまっとうせねばならん。
だいぶ話がそれたな、ARMA過程とかYule-Walker方程式とか共分散行列とか勉強したことについて思ったことを書こうと思ってたんだけど、、、まぁ、いいや少し書いちゃえ、ねみぃけど。ARMA過程は時系列解析の話でたびたび出てくる話で、どんなものかはいつぞに読んだ時系列解析の本で知ってはいた。そんとき思ったことは、経済データなり自然現象のデータなり、データフィッティングに使われ、ARMAだったらあの係数をデータから求めて、それで理想的にはデータの裏側にあるものを探るというもの。ただ、ARMA過程のモデリングでどこまでその裏側が探れるかはわからんから、所詮データフィッティングに使われるだけなんじゃないかなぁと。でも、あれを数値計算の道具として考えると、ちょっと使えるって思っうんじゃないかな。データありきのフィッティングというよりは、こういう性質のデータが欲しいってつかうって発想だと思う。最初はYule-Walker方程式はARMAの式を所詮ちょろまかせていじっただけの式じゃんとか思ってたけど、あれはデータから得られやすい相関関数からARMAの係数が求められるということに意味が有る。だから逆に言うと、こういう相関のノイズが欲しいって時にあれが使えるって算段なんだと思う。ちょっとこんなだろうなって雰囲気の話で盛り上がってるから、正しくないかも。まぁ、許して。前に誰かにってか、よくそんなにブログを書けるなぁとか言われると「世論を変えるために書く。ぐらいの意気込みで書いてる。」って答えてる気がするけど、こう見るとまったく読み手には配慮してないよね。内容はぐちゃぐちゃしてるし、でも文章構成考えたら書くの時間かかるし、こういう散文的って言うのかな?よくわからんけど、書き散らす感じが良かったりするのかなとか思ってる。よく有る有名人のブログみたいに無駄に改行して、読みやすくなってるけど内容が軽い奴よりはいいって思ってるんだけど、自分でも見返しててみにくいって思うからなぁ。なんとも。疲れた。眠い。
俺はだめだ、だめなんだよー。
いや、まだまだ・・・。
いや、まだまだ・・・。
二日前かな?中川先生に例によってうちのめされて、今回はなかなか余韻が残ってます。だーめだ、こんな時期なのに、、、つい数日前まではダメはダメなりにがんばってたのになぁ。気合いいれろー、俺。
今日は茨苑祭(しえんさい)初日。今日明日と学園祭があって、土日なのにひときわキャンパスがにぎわってますwぜひお近くの方は、ご来校を!!(・・・と、一応宣伝しとくw)日大にいたときは、たこ焼き焼いたり、売ったりして、主体的に参加してたけど、院生になるとやっぱ受け身だな。でも、去年よりも今年は茨苑祭を楽しんでます(おいおい。。。)。去年は、研究室にいてやっぱ研究してたと思うんだけど、で、ご飯のときだけ屋台を回ってた気がするんだけど、今年は管弦楽の音楽を聴いたり、Jazzを聞いたり、ちょっと楽しんでるなぁ。Jazzのウッドベース(?)をやってた人で一人めちゃくちゃうまい人がいて、かなり聞き入っちゃった。って、なんか最近研究のテンションが低い割に、エントリではスッゲーテンション高そうだぞ。あ、でも、本当に上手だったなぁ。生の演奏で良かったって言うのももちろん有るんだけど、弾き手が代わると、やっぱり音楽も変わるんだなぁ。(まぁ、それは三味線やっててもつくづく思うことだけど。)なんか、楽器が生きてるって感じ。俺もあれぐらいうまければ(女にももてるだろうし研究もうまく行くんだろう)なぁ、、、ってそりゃないか。
研究、進展無し。Numerical Receipeを読む。
あ、なんか久しぶりにのってきたから、なんか語ろうかな。そういえば、最近教育基本法の改正が問題になってますね。審議が不十分であるとか、内容がどうであるとか。俺の家にはテレビが無いから、世論がどっちに向いてるのかよくわからんが、俺は改正はやむを得ずという感じかな。
論点を上の二つにしぼって、審議と内容について。最初に審議について。与党のみが国会に参加してとりあえず衆議院を通ったって言うのは、選挙で自民党が大勝したからしょうがないことだと思う。選挙の結果は、有る程度民意が反映された形をとっているし、先きの選挙では自民に任せていいんじゃないって結果になったんだから、今更審議が不十分だなんだ言ったってしょうがないこと。個人としては、無党派層で、特に指示する政党が無い訳だけど、先きの選挙では自民に入れました。俺も、ここまで自民が大勝するとは思わなかったから、今となっては別に入れとけば良かったかなぁと思ったり思わなかったり。まぁ、とりあえず今は自民に舵取りを任せるとして(というか、そうするしかない?)、その善し悪しを次回の選挙で決めましょうって感じでいいんじゃないっすか。
内容に関しては、あんまり審議と一線を画して論議するのもどうかと思うけど、とりあえず別個で。ネットで個人的に調べた結果、というか、有る程度常識なんだろうと思うけど、今回の改正は、個人→国家という構図らしい。教育というのは、国にとって大事な事業であるし、その教育のもとになっているのがこの教育基本法と思うと、教育基本法って大事なんだなって思う。それにしても、なぜ今教育基本法を改正しなきゃいけないのかってことを考えた。教育基本法改正をのぞけば最近あった教育に関する大きな変革はゆとり教育であろう。ゆとり教育を一緒くたにして否定する人がいるけど、教育を変えなければならないという自体は切迫してあった。インターネットやゲーム脳が原因だとかマスコミがあおるからどうこうはさておき、少年犯罪の深刻さ、学級崩壊、いじめの陰湿化という事例は近年になって目の前にでてきた。いや、こんなこと言うと、ゆとり教育推進派っぽいけど、別に先きの「ゆとり教育」には問題が有ったと思うよ。ただ、その変え方が問題だった。「ゆとり」それ自体は必要な気がする、ただ、科目時数を下げたり、変な内容を削ったりってのがよくなかったんじゃないか、ととりあえずはぼかしとく。あぁ、なんかあらぬ方向に行きそうだ。とりあえず、問題は有った訳で、それをゆとり教育という表面的な変化の前に、根っこから変えてやれって思想がとりあえず今回の改正だと思う。確かに、そう考えると改正しなきゃいけない時期なのかなって思う。次に内容についてで個人か国家かって話だけど、確かに現行のまま個人個人とただいってりゃ、個人がのさばる訳で、過保護な親も出てくる。いじめはなくならないと思うけど、児童学生の個人より国家の公務に携わる先生に力があれば、いじめも抑制できるし、学級崩壊だって起こらないんじゃないか。そう考えると、やっぱ仕方ないんじゃないかなって気がする。でも、上の論理でいけるなら不思議だな。個人が尊厳を無視した方が、個人を守れるかもしれないってこっちゃ。よくわからん。まぁ、問題は残るだろう。卒業式の国歌斉唱とかさ。でも、時代の流れ的にしょうがないんじゃないかな。この日本の平和な感じ(核をもたないとか個人の尊厳を大事にするとか普通に治安がいいとか)はいいけど、日本が衰退していっても困るからって、ちょっと愛国主義的なことをして、国力を強めようって言うのは仕方ないよね。うーん、現実と理想が乖離してる。俺個人のことになると散々理想を語るくせに、こういうことになると結構現実的な思想をもつのかな。まぁいいや。結構書いたからそろそろ終わり。こーゆーことじゃなくて、もっと別のこと(研究)に夢中なれって感じ。でも、こういうことは言論したくなるからしかたないよ。でもちょっとつかれたかな。終わり。
PS.過去の日記をずいぶん時間をかけてアップしました。(まったく、こんな時期なのに、何やってんだ。)去年の4月から、こっちのブログで見れるようになりました。
今日は茨苑祭(しえんさい)初日。今日明日と学園祭があって、土日なのにひときわキャンパスがにぎわってますwぜひお近くの方は、ご来校を!!(・・・と、一応宣伝しとくw)日大にいたときは、たこ焼き焼いたり、売ったりして、主体的に参加してたけど、院生になるとやっぱ受け身だな。でも、去年よりも今年は茨苑祭を楽しんでます(おいおい。。。)。去年は、研究室にいてやっぱ研究してたと思うんだけど、で、ご飯のときだけ屋台を回ってた気がするんだけど、今年は管弦楽の音楽を聴いたり、Jazzを聞いたり、ちょっと楽しんでるなぁ。Jazzのウッドベース(?)をやってた人で一人めちゃくちゃうまい人がいて、かなり聞き入っちゃった。って、なんか最近研究のテンションが低い割に、エントリではスッゲーテンション高そうだぞ。あ、でも、本当に上手だったなぁ。生の演奏で良かったって言うのももちろん有るんだけど、弾き手が代わると、やっぱり音楽も変わるんだなぁ。(まぁ、それは三味線やっててもつくづく思うことだけど。)なんか、楽器が生きてるって感じ。俺もあれぐらいうまければ(女にももてるだろうし研究もうまく行くんだろう)なぁ、、、ってそりゃないか。
研究、進展無し。Numerical Receipeを読む。
あ、なんか久しぶりにのってきたから、なんか語ろうかな。そういえば、最近教育基本法の改正が問題になってますね。審議が不十分であるとか、内容がどうであるとか。俺の家にはテレビが無いから、世論がどっちに向いてるのかよくわからんが、俺は改正はやむを得ずという感じかな。
論点を上の二つにしぼって、審議と内容について。最初に審議について。与党のみが国会に参加してとりあえず衆議院を通ったって言うのは、選挙で自民党が大勝したからしょうがないことだと思う。選挙の結果は、有る程度民意が反映された形をとっているし、先きの選挙では自民に任せていいんじゃないって結果になったんだから、今更審議が不十分だなんだ言ったってしょうがないこと。個人としては、無党派層で、特に指示する政党が無い訳だけど、先きの選挙では自民に入れました。俺も、ここまで自民が大勝するとは思わなかったから、今となっては別に入れとけば良かったかなぁと思ったり思わなかったり。まぁ、とりあえず今は自民に舵取りを任せるとして(というか、そうするしかない?)、その善し悪しを次回の選挙で決めましょうって感じでいいんじゃないっすか。
内容に関しては、あんまり審議と一線を画して論議するのもどうかと思うけど、とりあえず別個で。ネットで個人的に調べた結果、というか、有る程度常識なんだろうと思うけど、今回の改正は、個人→国家という構図らしい。教育というのは、国にとって大事な事業であるし、その教育のもとになっているのがこの教育基本法と思うと、教育基本法って大事なんだなって思う。それにしても、なぜ今教育基本法を改正しなきゃいけないのかってことを考えた。教育基本法改正をのぞけば最近あった教育に関する大きな変革はゆとり教育であろう。ゆとり教育を一緒くたにして否定する人がいるけど、教育を変えなければならないという自体は切迫してあった。インターネットやゲーム脳が原因だとかマスコミがあおるからどうこうはさておき、少年犯罪の深刻さ、学級崩壊、いじめの陰湿化という事例は近年になって目の前にでてきた。いや、こんなこと言うと、ゆとり教育推進派っぽいけど、別に先きの「ゆとり教育」には問題が有ったと思うよ。ただ、その変え方が問題だった。「ゆとり」それ自体は必要な気がする、ただ、科目時数を下げたり、変な内容を削ったりってのがよくなかったんじゃないか、ととりあえずはぼかしとく。あぁ、なんかあらぬ方向に行きそうだ。とりあえず、問題は有った訳で、それをゆとり教育という表面的な変化の前に、根っこから変えてやれって思想がとりあえず今回の改正だと思う。確かに、そう考えると改正しなきゃいけない時期なのかなって思う。次に内容についてで個人か国家かって話だけど、確かに現行のまま個人個人とただいってりゃ、個人がのさばる訳で、過保護な親も出てくる。いじめはなくならないと思うけど、児童学生の個人より国家の公務に携わる先生に力があれば、いじめも抑制できるし、学級崩壊だって起こらないんじゃないか。そう考えると、やっぱ仕方ないんじゃないかなって気がする。でも、上の論理でいけるなら不思議だな。個人が尊厳を無視した方が、個人を守れるかもしれないってこっちゃ。よくわからん。まぁ、問題は残るだろう。卒業式の国歌斉唱とかさ。でも、時代の流れ的にしょうがないんじゃないかな。この日本の平和な感じ(核をもたないとか個人の尊厳を大事にするとか普通に治安がいいとか)はいいけど、日本が衰退していっても困るからって、ちょっと愛国主義的なことをして、国力を強めようって言うのは仕方ないよね。うーん、現実と理想が乖離してる。俺個人のことになると散々理想を語るくせに、こういうことになると結構現実的な思想をもつのかな。まぁいいや。結構書いたからそろそろ終わり。こーゆーことじゃなくて、もっと別のこと(研究)に夢中なれって感じ。でも、こういうことは言論したくなるからしかたないよ。でもちょっとつかれたかな。終わり。
PS.過去の日記をずいぶん時間をかけてアップしました。(まったく、こんな時期なのに、何やってんだ。)去年の4月から、こっちのブログで見れるようになりました。
久しぶりにブログを更新する気がする。なんか、最近になって修論を意識・・・というか、残りの修士数ヶ月で結果を残さなきゃって躍起になりすぎて物事を冷静に見れていない気がする。ただ、毎日学校に来て、少しずつ物事をこなしているつもりなんだけど、空回ってる気がする。くっそー、先立つのは焦燥感だけで、内実が伴ってこない。まぁ、いつものことか、焦ることもない。どうがんばるかだけ意識すればいい話だ。
昨日か、ちょっと自信有りの結果を出して行ったんだけど、案の定先生にダメだしされて、昨日一日はふて腐れてた。「あー、まじもー、数値計算向いてねぇ」とか言ってたけど、今日になってまた普通通りに数値計算の吟味をやってる自分に驚くw昨日のふて腐れ方から、「勝手に自分で突っ走ってやる」的なノリだったんだけどなー、俺って立ち直り早い方かも。あー、それを暴走と呼ばれようとも、突っ走りてぇ。なんか、中川先生に手綱を引かれてうまく方向修正されてる感じだ。くっそーがんばってんのに(いや、がんばり方が甘いのかもしれないけど)行き詰まるばっかだ。
最近のJarzynskiの論文で、経路積分を使ってJarzynski等式やらCrooks関係式(経路確率関係式)をきれいにフォーミュレートされているのを見る。(厳密にはまだおってない。)Feymann-Kacの公式に見るように、経路積分は単なる道具でしかないような気がする。ここの素研のA君も同じ考えだったけど、何かあれで新しいことができるかといったらノーアイデア、でも、説明できていることを見通しを良くするには良いというもの。(まぁ、A君はプロパゲータが計算できるかできないかということに焦点を当てていた気がするし、俺よりもその辺はよく知ってそうだから、深い意味は有りそう。)FPEから分布をFeynmann-Kacで求めて、そっから仕事だ熱だと言っていくのもそれはそれでありかなってきもするけど、あそっから物理的に意味有るものが抽出できるのか、まだよくわからん。あの逆軌道の意味をしばらく考えてた時期も有ったけど、つまるところ大事なのは出てくる結果の方で、あれから自由エネルギーを検出できんじゃねって思わせることにこそ意味が有る。さーて、俺はJarzynski等式とかCrooks関係式とか、使い倒すことができるのかなぁ。そうはいうもの、経路積分ってやっぱかっけーな。
昨日か、ちょっと自信有りの結果を出して行ったんだけど、案の定先生にダメだしされて、昨日一日はふて腐れてた。「あー、まじもー、数値計算向いてねぇ」とか言ってたけど、今日になってまた普通通りに数値計算の吟味をやってる自分に驚くw昨日のふて腐れ方から、「勝手に自分で突っ走ってやる」的なノリだったんだけどなー、俺って立ち直り早い方かも。あー、それを暴走と呼ばれようとも、突っ走りてぇ。なんか、中川先生に手綱を引かれてうまく方向修正されてる感じだ。くっそーがんばってんのに(いや、がんばり方が甘いのかもしれないけど)行き詰まるばっかだ。
最近のJarzynskiの論文で、経路積分を使ってJarzynski等式やらCrooks関係式(経路確率関係式)をきれいにフォーミュレートされているのを見る。(厳密にはまだおってない。)Feymann-Kacの公式に見るように、経路積分は単なる道具でしかないような気がする。ここの素研のA君も同じ考えだったけど、何かあれで新しいことができるかといったらノーアイデア、でも、説明できていることを見通しを良くするには良いというもの。(まぁ、A君はプロパゲータが計算できるかできないかということに焦点を当てていた気がするし、俺よりもその辺はよく知ってそうだから、深い意味は有りそう。)FPEから分布をFeynmann-Kacで求めて、そっから仕事だ熱だと言っていくのもそれはそれでありかなってきもするけど、あそっから物理的に意味有るものが抽出できるのか、まだよくわからん。あの逆軌道の意味をしばらく考えてた時期も有ったけど、つまるところ大事なのは出てくる結果の方で、あれから自由エネルギーを検出できんじゃねって思わせることにこそ意味が有る。さーて、俺はJarzynski等式とかCrooks関係式とか、使い倒すことができるのかなぁ。そうはいうもの、経路積分ってやっぱかっけーな。