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LinuxやWindowsの管理がようやく一段落着いた。コンピューター管理ってのは、どーも時間がかかる。これでしばらく大丈夫だと思ったら、またやらなきゃいけないことが出てきたり、あぁそういえばLinuxのメーラーのセットアップがまだだった。
中川先生からメールを頂く。近況報告せよとのお達し。中川先生は20日まで出張で、今お見えにならない。そういえば、こういう時って普通は自主的に近況報告すべきだよな。こういうところに目が向かないってのは、ちと問題ありだな。目標は、Cでの乱数の発生と常微分方程式の数値解と言ったが、何というお達しが来ることか。解答例①「今更そんなことやってるの?もっとペースアップしなさい。」②「えぇんちゃう?好きにやれば〜。」③「何しとっと?もっとべつのことやりんしゃい!」う〜ん、いずれにせよ、なんかぱっとしないなぁ。といいつつ、今勉強してるのは、確率過程とか数学よりの統計学とか。言ったからには、20日にはプログラムを完成させておかなきゃなぁ。
ホームページについて。わりと日記も毎日書いているが、完璧にこれは個人のワークスペースになってる気がする。トップページの「ニュース」って、それは単に自分がニュースを見る習慣を作りたいがためだけで、「裏」のグーグルは自分が便利って言うだけ。如是我感のページも、書いてみると他を寄せ付けない内容になっているし、研究結果もぱっとしない。プロフィールなんか完璧自己満だよなぁ。もう少し有意義なサイトづくりを心がけるべきかな?まぁ、アイデアも無いからなぁ。
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Linuxをネットワークにつなげるのに四苦八苦。M2の神田さんとM1のヒラと俺とでガチャガチャいじくるが、なんともうまくいかない。おかしいなぁ、もっと簡単にいくと思ったのに…。
修士の学生なら誰もがそうなのかわからないが、時たま自分のやっていることに疑問を感じることがある。特に最近の自分は、あれやこれやと勉強はしているが、なんかまとまった方向性が見えていない気がする。つまり、自分の研究したいことがあって、それに突き進んでいけているのかどうかということ。先日島田先生にお会いしたときに、「まず、あなたという人がどんな人なのか、指導教官の先生に理解していただく必要がある。」とご指導頂いた。それができていないから、こんなことを思うのか、それとも、院生であればこういう悩みはつきまとうことなのか。う〜ん、いまいちまとまらないなぁ。ダメだ。とりあえず、今の自分に何が必要なのか、しっかり詮索する必要はあるかもしれないなぁ。それを見据えるためには…、何が必要だ?確固たる研究意思か?ひたすらに情報詮索か?いっそのことそんなこと考えずに、そのときそのとき必要だと思うことをやればいいのか?う〜ん、わからん。
5月に入り、5月病ということはないが、初心を忘れかける時期でもあると思う。自分の目的を見失わないように、ときどき自分を戒めていかないとな。勉強しなきゃいけないことの多さにアップアップ気味の速水でした。
C言語のお勉強。一日中パソコン漬けだったので、目がしぱしぱする。パソコンなんかより、物理やら数学やらの勉強をしているほうがよっぽど性に合ってる気がするが、プログラミングの必要性を感じてきたから仕方ない。Mathematicaは確かにすばらしいが、やはり計算の速度とかいったものを考えると、Cの必要性を感じずにはいられなかった。意気込みはそれほどでもなかったが、やってみると意外と楽しかった。大学の授業でやってたバックグラウンドもあってたお陰もあるかも。ただ、今日はペースがいまいちだったなぁ。今日は50ページしか進められなかった。(PGの本なので、さくさく進めることができる。)この調子でいったら、この本をやり終えるのに最低でも6日はかかってしまう。もうちっとがんばらないとなぁ。
今日の帰りがけに、M2の勝さんと神だ何だといった話をする。自分と考える方向性が違っていたせいもあってか、理解に苦しんだところもあった。話の内容はさておき、こういったときの自分は、どこか相手の考えを小ばかにして聞いている気がする。悪いくせだ。
よく思うけどよくわからないことで、こういったときの対応はいささか悩む。最も無難な考えは、相手の考えに敬意を示し、何かをそこから見出そうとすることであろう。しかし、そこから見出せることが少ないとか、自分がすでに考えたことがある題材だとか、なんだか根本的なところでずれてるとか、まぁ一言で言うとつまらないとか、ひとたびそう思ってしまうと話を聞くのが嫌になってしまう。「愚痴話は聞いてやれ」とか俺の友達が言ってたけど、限られた時間の中で誰と時間を共有するかというのも大事と考えると、どうしていいかわからなくなる。話し半ばで他の話題に変えるとか、話す相手を変えるとか、何も考えずに聞いてるフリをするとか。でもそれって愚痴話を聞いてることにならんよなぁ。
ちなみに、勝さんとの会話が有意義ではなかったということでは決してありません。なんか、相手の考えをむやみやたらと小ばかにするという自分の悪態について、考えはせていったら、こんなところまで行き着いたというだけなので。あしからず。ちょっと頑固なんだよな、俺。自分の意見をかたくなに保持するという頑固さはそれほどではないとは思うが(?)、他の考えを聞いたときに片っ端から疑ってかかるかかるからなぁ。もう少し相手を尊重するってことを覚えた方がいいのかも(汗)。今日は、そんな反省文でした。あ、勝さんとの談笑も終始和やかなものでした。もう一つあしからず。
巷で話題になっている「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」を一気に読む。さすがにベストセラーだけあって、読みやすい。そして、内容が薄っぺらい。しかし、会計に関してほとんど無知であった私にとっては、会計について考える良い機会になった。そういった意味では、さすがベストセラーといったところか。ベストセラーっていうのは、野口悠紀雄の「超整理法」にせよ養老孟司の「バカの壁」にせよ、内容が薄っぺらいのが多い気がする。内容が薄っぺらいがゆえに、「よくわかった」と思ってしまうわけで、その実、ある込み入った場面でその考えを適応させようとなるとなかなかうまくいかない。つまり、きっかけにはちょうどいいが、実践的に効いてくるかどうかは妖しい。大概はすぐ理解できたというときには、思考停止が付きまとっている気がする。一方、内容がしっかりしている本は、それゆえなかなかとっつきにくく、一筋縄では理解できないものである。学問に王道は無しといったところか。そういったとっつきにくい本は大概絶版してしまうが、そういった本こそがベストセラーとなって欲しいものである。それにしても、かの文豪ゲーテにして、会計学を「最高の芸術」と言わしめていたのには、驚いた。会計学は複雑系に通ずるものがあるとは思ったが、「最高の芸術」とは少しオーバーな。何でかはまだ理解できんな。
しばらくぶりに水戸に戻ってきた。
家族旅行で九州をまわって、短いながら旅行気分を満喫できた。やっぱり旅行は楽しい。国内旅行でも海外旅行でも、その土地の風土や人,文化に触れるのは、自分にとってプラスになる。それに、自分の置かれている環境を変えるというのは、自分にプラスになるどうこうではなく、必要であろう。今回の旅行について、具体的にどうだったとか感想を言っていったら大変なので省略するが、まわった主要なところだけ。久住山,阿蘇山,黒川温泉,熊本城,長崎原爆資料館,七つ釜鍾乳洞,秋芳洞など。
せっかく地元に戻ったので、池袋,神田神保町にくり出す。日ごろ本に関してフラストレーションが溜まっていたので、その鬱憤を晴らす意味でも。そんなせいもあってか、10冊も一気に買ってしまった(!)。これでも、多少抑えたつもりなのだが。。。少しお金に余裕がある(??)と、一気に本に費やしてしまう。良いような悪いような私の習慣である。総額二万円也…。ちとやりすぎたかも。
神田の「いもや」に行く。いもやは天丼のお店やトンカツのお店で有名で、天丼はとってもおいしい。少なくとも、私が今まで食べた中で、一番の天丼をしかも安価で提供していただける。ありがたーいお店であるが、今回はいもやのトンカツを食べてみた。今までいもやの天丼にはまってて、不思議なことにいもやのトンカツを食べたことがなかったからだ。700円と少々高めだったせいもあった。トンカツの揚げ具合が少々甘いと思ったが、気にせず食べる。そこそこおいしい。肉の柔らかさ、衣のさくさくした感じはさすがだ。キャベ線もごまんとつまれていて、ボリュームには満足。そこまで細切りではない、フツーのキャベ線だ。キャベ線の味付けはさして見当たらず、もちろんソースはあるが、真新しいものはない。トンカツにキャベ線を合わせるときは、キャベ線にレモン汁をかけて食べるのが一番いい組み合わせだと思うが、、、そこは残念。ご飯に漬物,味噌汁はおいしかった。味噌汁は、赤味噌仕立てで、シジミが入っていた。シジミのだしがよく効いている。トンカツのお店に来て、それ以外のものに感心するのも不思議な気はするが。なんとも美味である。
そこには2人の料理人さんが居て、トンカツを作り終わると、いかにも疲れたといった具合に体を動かしている。と思ったら、新聞を開き、世間話を始める。料理人であれば、出した食事の味がどうかお客の顔を伺うのが普通とも思うが。いもやの天丼ではそういった態度も見れたし、お茶がなくなったら差し出してくれるなど細やかな配慮もあった。そういった接客の態度の意味でも、やっぱいもやの天丼は良いなぁと思うわけであって、今日のトンカツには期待しすぎていたということもあってか、少しがっかりだった。まぁ、作業の手早さ、包丁やまな板の管理、挨拶など、基本的なところはさすがにしっかりしていたが。
で、変な食評をいきなり始めてしまったが、言いたいことは実はこれからで(笑)その2人の料理人の話で、尼崎電車事故の責任問題の話が持ち上がっていた。かの事件で、車掌区長がボーリング大会をしていた話である。その話を少し再現したい。
A「(前略)…事件を知りながらボーリングに行ったんっすか?」B「13人は知ってたみたいだよ」A「それでその後に、お酒を飲みに?」B「全員は行かなかったみたいだけど、そのうちの何人かは行ったみたい」A「ボーリングならまだしも、お酒はまずいっすね」
よくありそうな会話。無論、JR職員の一連の対応は憤りを感じるものであるのは誰もそうだろうと思う。大惨事がありながら、職務をまっとうしようともしなかった、その罪は重い。しかし、私はこの一連の会話を聞いていて、ふと違和感を感じた。果たして彼らは自分の職務をまっとうしているのかと。客の顔色を伺わない、お茶がなくなってもすぐに差し出さない、客前で見せる態度、大同小異であれ、JRの職員とやっていることは同じではないかと思ったのである。そうして、すぐ思いあたってみた、無論、自分のこと。自分は大学院生であって、研究しなければならない。云わば義務である。果たして今の私はそれをまっとうしているのか、複雑な気分である。
島田先生に久しぶりにお会いして、御説法頂いた。島田先生は、私のことがどうも不安になっておられる様子であった。無理もない、私は島田研の問題児である。いつもそうであるが、島田先生の視点は私にとって斬新で、いつも新たな知見を思いつかされる。学問的なことに関してもそうであるが、今後の研究の進め方や学生生活についてなど、それは多岐にわたる。そう感じるたびに、「あぁ、まだまだ未熟であった」と思わされるのである。しかも、そのほとんどは、その時々の反省した以上のものを含んでいる。つまり、反省の深さが足りない、問題認識の度合いが浅いのである。こういったことは、不幸にして後になって気づくもので、その時々では「そうかわかった」と思ってしまうのであるからたちが悪い。
果たして、自分の義をまっとうできるのか。これからの自分にかかっている。
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