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今日は裁判所の見学に行った。裁判の傍聴自体、大きな案件でなければ容易に見ることが出来る。 特に予約などは必要とせず、ホームページで時間を確認して入廷するだけだ。 今回は私は研究室の友達と午後から入廷し、刑事裁判のみ傍聴した。 業務上過失傷害と無銭飲食に関わる「判決」が一つと、売春に関わる「新案(?審議)」が一つ。 「判決」は、およそ10分間と短い時間だが、裁判官が求刑を言い渡す。 審議は事前に行われいて、その判決を下すと言うだけだが、裁判官の入ってきたときの改まった雰囲気や両手に手錠をかけた被告人が入ってきたときの緊張感は独特だった。 判決が下るときは、何か神聖な思し召しが下るのかとさえ錯覚した。それだけ、私にとっては未知で新鮮な体験だった。 ついで「新案」だが、まず原告(検事)が容疑を説明する。ついで、保証人(容疑者と親しい人物),容疑者が順に証言台に立ち、弁護士が話の流れをつくる。 保証人,容疑者の話が終わると、適宜原告側が質問すると言った形式。それが終わると、検事が求刑する。大まかにこういう流れだ。 一連の話の流れを見て私が思ったことは、地方裁判所では事の真偽を確かめると言うより被告の更正という要素が強いのだと思った。 おそらく地方の裁判所では、被告も原告も罪を認めているケースが多い気がする。 それゆえ、被告人はほとんどの場合犯行人であり、裁判という諸過程を通じて罪について考えさせているのだろう。 実際、そういう場面が随所に見られたし、それは至極妥当なもののように思う。 裁判所は、人を裁く場であり、人を更正させる場であり、人の罪を償う場。 人を人が裁くのは少し変な気がしてたけど、社会の中で一つの大きな役割を担っているのだなぁと実感した。 単に法律という名のもとに、審議が為される場と思っていた(もちろんそういう要素はある)が、そういう人間的温かみも感じることが出来た。 なんだか、全体が生ぬるい文章になった気がするが、たまにはこういうのもいいかな。
今日はヒラからじゅうたんをもらったので、家のインテリアを少し変えた。 じゅうたんだけでもちょっと感じがよくなった気がする。
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死ぬぅ。体がヤバイ。
今日のゼミは惨敗。あんまりいいところは無かったが、Zhang-Rice一重項の話はなかなか面白かったなぁ。 いかついHamiltonianをごりごり計算してやるのは、昨日の時点では気が滅入っていたが、割とエッセンスは簡単だったから(!?)なんとか式は追えそうだ。
う〜ん、腹が。
友人のKT氏からメールを頂く。何やらS先生やT先生と議論することになったそうだ。 KT氏とは学部4年のとき日線形非平衡若手の会で知り合い、私と同じ修士一年として頑張っている。 KT氏は先日の学会では見事に(?)発表を乗り切り、その反響の中でS先生やT先生との議論の場を得たそうだ。 学会をもとにこういったアカデミックな交流ができるというのは、とてもいいことだと思う。 俺もこういった形を目指さなければならないだろう。 そのためには…、
まずこのトイレとの往復+ティッシュペーパーの大量の消費状態を何とかせねば。明日は裁判所へ。
体調は悪くなるばかり。ついで、明日の物性研ゼミの準備が不十分と来たもんだ。ヤバイっす。
中川先生と物理学会に関してお話をした。具体的な研究発表に関してのお話というよりは、学会でのスタンスの取り方についての話が印象に残った。 相手の発表を聞いていて、そのときに自分のバックグラウンドに照らし合わせて新しい研究テーマが思い浮かんだりするとか、まだ十分な下地がない段階では研究者としての聞き方は難しいのではとか、なんかそういう話。 研究者であれば、内容をぶつけてのトークになるべきかもしれないが、俺はこういう意識とかスタンスがどうこうとか言う話も悪くはないと思う。 まぁ、もっとも今回の発表で内容をガチンコで説明できるほどしっかり理解して、自分の研究にどう役立つかまでクリアに見れたのもないからなんともいえない。 今回の学会で思ったことは、森,Zwanzig,川崎の射影演算子法の一連の仕事がすばらしいなぁということが一番だった。 他にも、熱伝導や力学系、MDなどめぼしい内容もあったが、この辺に関しては無知であったので、視野が広がったというだけに過ぎない。 具体的に自分の研究にどう役立つかなどのビジョンははっきりしていないが、何か関連がありそうなそんな雰囲気を感じたに過ぎない。 そういった意味で、昨日の日記にも書いたように精神修養といった要素が強く残ったそう感じたのだろう。
明日のゼミの準備でZhang-Rice1重項のことを調べた。銅酸化物にキャリアをドープするってやつで、高温超伝導体としては有名な話らしい。 原論文のリファレンスがいろんなところから引かれていた。ただ、原論文は古すぎてnetから獲得できなかった…。残念。 物理的なイメージ、というよりはZhang-Rice1重項のご利益みたいなのは感じ取ることことができたが、式変形がなかなか厳しい。 基本的な持って行き方は非常にわかりやすく理論は明快なのだが、強相関特有の(?)キショイHamiltonianをゴリゴリ計算していくのは大変。 う〜ん、どうしよう。とりあえず、今日は帰るか。
あー、だめだ。風邪ひいた。今日の水戸は、強風が吹き荒れるし、気温が低いし。気候の変化のせいかな風邪ひいたのは。昨日あたりから少し調子が悪かったんだけど、今日は一気にひどくなった。う〜ん、つらいぞぉ。
今日はそれでもなんとか研究室に行って、学会でめぼしをつけてといた論文を検索。少ないキーワードながら、ほとんどの論文を検索した。バリバリ自分の領域のものから、興味が薄いが調べておきたいものまで、内容的にハードなものが多そうだが、機を見て読みたい。 今回の学会はいろいろと収穫があった。といっても、得られたもので主だったものは精神修養という意味合いが強そうだ。もちろん、自分のやっていることの周辺や領域間のつながり、今話題になっていることなど実際に効いてくるようなことも有ったわけではあるのだが。 やはり学会の場(特に飲み会の席など)で自分のやっていることの説明をしっかりできなくてはならない。 研究者同士での議論ということもさることながら、自分の問題意識をどこにおいていて、自分の研究にどう結び付けているのか、どこにその学問的な有用性が見られるかなどは専門内外を問わず言えることであろう。 それぐらいのことはきちんと説明できるようにしたい。なんか通り一遍の説明はできている気はするが、相手の反応と結び付けて考えるとそれはできていない気がする。 それは自分が実際に研究の成果を出さなければ説明できないことなのかもしれないが、何だか個人的には不満だらけだ。 それと、込み入った議論になかなか入っていけないときがある。 話が専門的過ぎて入っていけないということはありうるが、ある程度どの分野の話でも話としてついていけるぐらいにはなっておきたいものだ。まぁ、これは難しいことかもしれないから、軽く意識しておくにとどめるだけにしておこう。 どの領域に関しても相手に無知だと思われるのは一向に構わないことだが、それによって過去や現在の研究室の先生や先輩方に迷惑をかけるのだけはごめんだ。 私は島田研の問題児ではあるが、「島田研卒なのにこんなこともできんのか」と思われるのは嫌だし、「茨大中川研のマスターなのにこんなの知らないの」って思われるのも断固嫌だ。 島田先生からもご教授いただいたことだが、各研究室には各研究室のノウハウというのがある。 研究室の門をたたくということは、そのノウハウを習得するということだ。 ○○研を出ているのに、×××がわからないということは、その研究室の名誉を傷つけるということにもなりうるから気をつけたいところだ。
さて、そんなこんだで今日は何もしてない。論文を検索してちょっと目を通したというぐらい。どうも頭がボーっとして鼻水は出るはおなかが痛いは、ロクな状況じゃない。何とか明日には回復したい。
昨日の夜中遅くに水戸に戻ってきました。しばらく水戸を離れて、地元と京都に行ってました。今年の夏は外出が多かったから、こんなに空けるつもりはなかったんだけど、気づいたらこうなっていました。まぁ、仕方がない。とはいえ、こう日記を見返してみると、結構時間あいてたんだなぁ。一週間チョイ空けてたことになるか。なんか夏休みまともに研究が進んでないなぁ(焦)
地元に戻ったのは、友達の送別会とか旧友との再会とかそういうイベントが多かったから。 ついつい戻ってしまった。 本心では研究に没頭したかったんだけど、しばらく会えなくなるんだし、しばらく会ってなかったんだし。 こういう義理は立てるべきだろう。 一人は韓国から日本語を勉強しに来てたやつで、カナダの語学学校以来の友達。 日本に来るってことでこっちはすごくうれしかったんだけど、水戸と小岩じゃ結構はなれてるから軽いノリで会いにいけないんだよね(汗) そりゃ、韓国よりかは近いけど・・・。それでも、まぁちょこちょこ会って、半年ぐらいか?日本にいてずいぶん日本語がうまくなってた。 最初はお互い英語でしか話せなかったんだけど、送別会のときはほとんど日本語でOKだった。 これには驚いたなぁ。まぁ、本人の努力もそうとうあるんだろうなぁ。たいしたもんだ。 もう一人は高校のときの友達で、大学を2年間休学して諸国を放浪していたというなかなかアクティブなやつ。 しばらく音信不通で、久しぶりに連絡が取れたから、お酒を交えて土産話を聞いてきた。 2年間外国を旅してきたっていうのはうらやましい話で、いろいろ得るものはあったんだろうけど、実際どうなのかなぁ。 俺も2ヶ月カナダに行ったとき、もうしばらくはカナダにいたいって思ったんだけど、金銭的な制約と、特に、時間的な制約とで無理だった。 ここで、文系と理系の差は大きいと思う。文系ならそれも許されるであろうが、理系の場合そうもいかないって思ってた。 理系の場合、どうも下積みといったものや腰をすえ勉強する時期って言うのが文系のそれよりも多い気がする。 個人的には文系と理系の境界も曖昧で悩ましいことなんだけど、この違いは(程度の問題かもしれないが)ある。 俺がカナダから日本に戻ってきた一番の理由は、時間の問題で物理をやらねばならぬということだった。 大学生としての義かもしれないが、そう思った。 カナダで勉強すればいいということもあろうが、日本の大学生という立場上、そうは行かないであろう。 浦島太郎は竜宮城から戻らねばならぬ。 竜宮城で遊興に浸る、それはそれで価値があることなのだが、自分が他に全うしなければならぬこと、もしくは、全うしたいことがあるなら、いつまでも竜宮城にいてはならんのだ。 2年間諸国を放浪していた彼の場合、大学生活がつまらなかったそうだ。 おそらく諸国を放浪していたのは自分の全うしたいことを探していたのだろう。それに2年間要したとあらば、仕方のないことだし、それは有意義なことだと思う。 残念ながらお酒の席でそこまでは聞けなかった(これはおそらく私の質問する力がなかったためだろう)が、そんな気がする。 ちなみに、韓国から日本に来た彼は、自分の全うしたいことをするための準備期間として日本やカナダに行ったんだろうと思う。 彼は、韓国でしばらく就職活動の準備で忙しいとは思うが、日本にカナダに行ったこと、それはそれで良いんだと思う。 三者三様という感じですな。学会の話も書こうと思ったけど、長くなりすぎたから、また明日にでも書こうかな。 やっぱ日記としての役割を果たすためには毎日書かないとだめなのかもね。
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