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どうも実家に帰るとブログを更新しようと言う気が薄まる。旅行中とかもあんまり更新する気は起こらない。
実家に帰っていると言うのはなんだか不思議な心持ちだ。一年前の普通の日常に戻っただけなんだけど、何か違う。学部生のときにこっちにいたときには、家で勉強するのは割りと普通だったんだけど、今はなんか動けない。水戸にいるときはテレビもないので、家で読書と三味線以外にすることがない。日常はといえば、ちょっとバイクで遠出することを除いては研究室の往復だけ。こっちにいるときとはだいぶ様子が違う。人間環境が一変すると、なかなか普段のリズムが取り戻せないのかな。それにしても自堕落だ。今日も本の虫になってしまう。
久しぶりに司馬遼太郎を読む。おそらく人が歴史小説を愛するのは、登場人物に自分を重ねて、行き悩んでいることに対する解答をそこに見ることができるからであろう。これが万人に対してだけでなくとも、少なくともこれは自分に当てはまると思う。過去に偉業を為した策士なりなんなりの生き様には、多事多難が襲い掛かり。さまざまな知略、謀略を図り、難儀を退けていく。もしくは、失敗から何がしかを知る。その多難の中のひとつでも自分の境遇に当てはまるものがあって、自分と照合して、生きる道を知るのではないか。(ちょっと言いすぎかな。)司馬遼太郎の本にあっては、歴史の事実をしっかり踏襲した上で書かれいる(らしい)から、物語がリアルに感じられる。やはりリアルな話でなければ、自分と登場人物を照合するにもできないんじゃないかな。まぁ作り話でも、作者自身の経験には整合されているんだろうけどね。
ちょっと変なことを書きすぎたかな。
昨日、ジュンク堂にある大江健三郎書店を見て回った。ジュンク堂ではこういう誰々書店とか誰々の講演会とかが定期的にあったのだが、「本屋は本屋でいい」とか変な先入観にとらわれていて気にもしていなかった。けれども、大江健三郎とあっては、ちょっと気になってくる。(この辺はちょっとみーはーかも。ってか、それまでめぼしい人がいなかったってだけかも。)ちょいと立ち寄ってみると、なかなか面白い。他人の本棚を眺めているような感じだ。日大のときの恩師A先生は「本棚を見るとその人の学力がわかる」と言っていたが、まぁ、そんな言葉引き合いに出さずともそれらしいことはどっかの誰かも言っていようが、やはりその人がどういう本に出会い、どういう本に感銘を受けてきたのかと言うのは、その人の人物を良くあらわしていると思う。だから、私も他人の本棚を見るのが大好きだし、自分の本棚を見られるのもちょっと気恥ずかしい。話が暴走してきた。今日はここいらで引き上げるかな。あ、そういえば「いい本を知っている人がいい友」であると言うことが大江健三郎書店で書いてあったなぁ。なかなか面白い言葉かも。
今日は友達を4時間半待った挙句、落ち合えなかった。おかげで本をたっぷり読みふけることができたが、若干その友人が気になる。未だ連絡もないし。変な諸事に巻き込まれてなければいいが。
実家に帰っていると言うのはなんだか不思議な心持ちだ。一年前の普通の日常に戻っただけなんだけど、何か違う。学部生のときにこっちにいたときには、家で勉強するのは割りと普通だったんだけど、今はなんか動けない。水戸にいるときはテレビもないので、家で読書と三味線以外にすることがない。日常はといえば、ちょっとバイクで遠出することを除いては研究室の往復だけ。こっちにいるときとはだいぶ様子が違う。人間環境が一変すると、なかなか普段のリズムが取り戻せないのかな。それにしても自堕落だ。今日も本の虫になってしまう。
久しぶりに司馬遼太郎を読む。おそらく人が歴史小説を愛するのは、登場人物に自分を重ねて、行き悩んでいることに対する解答をそこに見ることができるからであろう。これが万人に対してだけでなくとも、少なくともこれは自分に当てはまると思う。過去に偉業を為した策士なりなんなりの生き様には、多事多難が襲い掛かり。さまざまな知略、謀略を図り、難儀を退けていく。もしくは、失敗から何がしかを知る。その多難の中のひとつでも自分の境遇に当てはまるものがあって、自分と照合して、生きる道を知るのではないか。(ちょっと言いすぎかな。)司馬遼太郎の本にあっては、歴史の事実をしっかり踏襲した上で書かれいる(らしい)から、物語がリアルに感じられる。やはりリアルな話でなければ、自分と登場人物を照合するにもできないんじゃないかな。まぁ作り話でも、作者自身の経験には整合されているんだろうけどね。
ちょっと変なことを書きすぎたかな。
昨日、ジュンク堂にある大江健三郎書店を見て回った。ジュンク堂ではこういう誰々書店とか誰々の講演会とかが定期的にあったのだが、「本屋は本屋でいい」とか変な先入観にとらわれていて気にもしていなかった。けれども、大江健三郎とあっては、ちょっと気になってくる。(この辺はちょっとみーはーかも。ってか、それまでめぼしい人がいなかったってだけかも。)ちょいと立ち寄ってみると、なかなか面白い。他人の本棚を眺めているような感じだ。日大のときの恩師A先生は「本棚を見るとその人の学力がわかる」と言っていたが、まぁ、そんな言葉引き合いに出さずともそれらしいことはどっかの誰かも言っていようが、やはりその人がどういう本に出会い、どういう本に感銘を受けてきたのかと言うのは、その人の人物を良くあらわしていると思う。だから、私も他人の本棚を見るのが大好きだし、自分の本棚を見られるのもちょっと気恥ずかしい。話が暴走してきた。今日はここいらで引き上げるかな。あ、そういえば「いい本を知っている人がいい友」であると言うことが大江健三郎書店で書いてあったなぁ。なかなか面白い言葉かも。
今日は友達を4時間半待った挙句、落ち合えなかった。おかげで本をたっぷり読みふけることができたが、若干その友人が気になる。未だ連絡もないし。変な諸事に巻き込まれてなければいいが。
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