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気づいたら、研究室の椅子で寝ていた。普段、帰宅したり研究室で徹夜したりはしていたが、無意識のうちに眠りについていたのは驚いた。明け方(いや真夜中を)まどろみながら帰宅。時刻AM4時なり。
今日は何故か岩波新書の「サルトル」を読んでしまった。ふと図書館で目に付いてしまったのが原因である。普段は本の書評に関する本(特にこういう解説本の類)は、あまり好きではなかった。というのも、実際の本を読んでみるのが一番わかると思うから…というよりは、変に解釈を押し付けられる気がして…何よりそれが気に入らなかった。そういう意味で敬遠しがちだったのだが、そのわりに今回は楽しめた。実際読んで見て思ったことだが、サルトルを根掘り葉掘り調べ上げて解説というか、完璧にその人(作者)のサルトル像を語っていると思った。つまり、サルトルの文学作品なりなんなりを介して、あくまでその人の立場で理解解釈しているものを言論している、そんな気がした。
しかし、私はどうも不思議なのだが、どうしてこうも丸まる相手の意見を鵜呑みに出来るものかと思ってしまう。この「サルトル」の作者に関してもそうだが、完璧にサルトルマニアというか、サルトル主義者,サルトル信奉者である。俺だったら、どんなにいい本を読んで「すばらしい」と思っても、丸々それ(文学作品のイデアなりなんなり)を取り入れるなんて事はしない。やはり、ある程度自分の中でフィルターを通すはずである。まぁ、ちょっと云いすぎかな。なんか本を読んで理解するときには、何がしかフィルターが入ってくるはずだけど、それが少ないというべきか。そうでもなきゃ、信奉者にはなれんはな。まぁ、そこまでサルトルという人物にその人はほれ込んだんだろうな。
でも、考えても見れば、自分の場合もそういう人(ほれ込んだ人)は存在しているといえばそうだな。とはいえ、その人の考えが絶対とは思っていない。その人からうるものはきわめて絶大であるとは思っているが、かならず疑う余地は残している。そういう意味で、俺は違和感を覚えたのかもしれない。
ちなみに、サルトルの考え方はどうも俺には腑に落ちない点がある。修正主義の立場でそれを受け入れるならまだしも、短絡的にサルトルの考えを受け入れるのは少し危険な気がする。だって、なんでも「サロー」だっけか?そういう風に云ってしまえば、自分に対する虚栄が張れちゃうわけだから。開き直りみたいな、そんな風に誤用されてしまう気がする。他すべてを実存と思うのは、やはり相当大変なことで、そういう志向にばっちしあう人なら、修正主義の立場という条件付で認めてもいいな。ただ、修正主義という立場自体どうなのよという気もする。全然クリエイティブな立場に立ててないんじゃないかな。「嘔吐」とかの小説自体はいいと思うけどね。
駄文でした。こういう文章を自分で読んだら、「物理やってる人間が、その専門外に関して論じているとなんかつまらん。」と思いそうだな。もちろん、面白いこという人もいるんだけど、文科系の言論人と比較すると、やはりパーセンテージで文科系が上かな。そりゃそうか、専門家だもんな。ただ、一応、科学者の思想というのも、(完成されていれば)文科系にはない独特なものがあっていいとは思っています。
もうおわらそ。今日は、お昼に中川先生と話し合ったことを書こうと思ったんだけど、とんでもない内容になっちまったな。それでは。
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