忍者ブログ
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
(05/09)
(07/21)
(05/06)
(01/17)
(01/17)
最新TB
プロフィール
HN:
速水
性別:
男性
職業:
生保社員
趣味:
テニス、将棋、投資
自己紹介:
物理を勉強してました
バーコード
ブログ内検索
[395] [394] [393] [392] [391] [390] [389] [388] [387] [386] [385]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日の夜、横になりながら何となく考えてて、ここ最近のブログにはN先生やS先生、F先生やSS先生が登場しなくなったことに気づいた。昔は研究しながら「そういえば昔S先生が・・・」とか「N先生曰く・・・」とか、場面場面に応じて思い当たる節があって、それを書き留めていた。けど最近はどうしたことか。
社会人の論理と学生(というか私的には研究者)の論理が異なるのはいうまでもない。そしてどちらの論理も一長一短で、どちらがすぐれているとはいいづらいと思う。曖昧な言葉で逃げている気もするが、どちらの論理もときと場合によって使い分けるのが一番だと思うが、近頃の自分は社会人の論理をどんどん吸収する方向に傾斜しすぎている気がする。まぁ、今まで学生生活が長かったし、研究者の論理に自分を適合させようと思ってきたことからも、俺の社会人の論理はあまりに脆弱すぎるのかもしれない。だからそのもろい基盤を補強すべく、社会人の論理を受け入れている・・・とはいえ、学生の論理にも良いところはあるはずで、もう少し自分の考えとの相違点をはっきりさせる必要があるかもしれない(が、そんな時間はもちろんない)。
俺の研究哲学は、今まであってきた先生や友人によるところが大きい。それゆえ、S先生の言葉やN先生の言葉それ自体が(完全に模倣できているかどうかに関わらず)自分の研究者としての考えの発露である。それが今状況に応じてあまり思いつかないということは、受け入れてる今の論理が消化してからではなく鵜呑みにしているってことなのかなぁ。あぁあー、あのころは研究者の思考こそが無敵だと思っていたんだがなぁ。
ここから掘るとどうしょうもないけど、こういう二項分離自体危うい気もしてくる。あー、まだ社会人ってわかんねぇ。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]