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昨日はちょっとだらけムードだったので、今日は仕切りなおし。テニスをした後に、研究室でパソコンと向き合う。適当に初期値を選んで数値計算させていると、出てくる結果によってイメージに合わないものが出てくる。それからプログラミングのバグを発見し、少しづつプログラムを改良していく。地道な作業だが、大事な作業。作ったときは完璧なプログラムだと思っていても、日を改めて見てみるといろいろ問題点が見えてくる。こういうことが往々にしてよくあるから不思議である。なんとか、ラチェット形のポテンシャルの数値解までこぎつけ、まぁノルマ達成かな。6/30の時点では、何が何だかわからなかったが、今はずいぶんとすっきり見えている。まさか、こんなにプログラミングでミスがあるとはなぁ。ただ、長い目で見れば、この程度のことはまだまだ準備段階。研究本番前だからなぁ。この程度のことは、さっさとやりきりたい。明日以降は二体三体でやろうと思っているが…、どうであろうか。解法のイメージがわいてこない。時間かかるかなぁ。それよか、早いとこHenon-Heiles系のまとめに取り掛かった方がいいかもしれんなぁ。
今日は難しい問題を吹っかけられた。話は簡単で、飲み会に行くか行かないか。俺と同期だった日大時代の友達が、就職を決めたらしく、そのお祝いである。無論、行かねばならぬ!ただ、金がない。研究もせねばならぬ。物性若手夏の学校なるものに約3万円もぼったくられるのだ。水戸から東京への交通費+飲み会のお金+お祝いに何か>一万円という構図が(情けなくも)瞬時に成り立ち、また、自分の研究の進行状況ともそれはシンクロした。俺は苦境に立たされた。人間生きていく上でまっとうしなければならないもの——義。友達が就職を決めた。お祝いである。祝福したい。当然、私にとっての義である。一方、大学院生であるという身の上、親にも迷惑を掛けている、研究せねばならぬ。こちらも私にとっても義のように感ぜられた。うううむ・・・。結局折り合いは「夏休みにまた」という形で、幕を閉じたわけだが、なんかうやむやとしたものが残る。なんか、ダメな奴だ。よくよく考えてみると、研究なんていつでもできるではないか(?)。電車に乗りながらでも、バスに乗りながらでも…。それに引き換え、皆が集まって酒を飲み交わすなんて、しかもそれは祝い事である(!)。授業サボってでも、行くべきであった…のか…?う〜ん、とはいえ、とはいえなぁ…。
ひとつだけいえるだろうことは、大人になるにつれて、(正しいかどうかわからない)務めるべきことが自分に付きまとう。社会的要請というべきか?いずれにせよ、それは社会的な人間であれば、必然であろう。ただ、問題はそれが自分の義とそれが衝突したときにある。こんな内的衝突がなく、自分の義を貫き通せるような生きかたはいいと思うが、そうそうできることでもない。また、かといって、自分の義を捨ててしまって、義を貫き通す人に対して、それを蔑んだり、軽視してしまうのは愚である。やはり、中庸という形に落ちつくのか…。う〜ん、なんだか冴えんな。今日は当たり前のことを当たり前に言って終わってしまった気がする。よくわからん。
今日は難しい問題を吹っかけられた。話は簡単で、飲み会に行くか行かないか。俺と同期だった日大時代の友達が、就職を決めたらしく、そのお祝いである。無論、行かねばならぬ!ただ、金がない。研究もせねばならぬ。物性若手夏の学校なるものに約3万円もぼったくられるのだ。水戸から東京への交通費+飲み会のお金+お祝いに何か>一万円という構図が(情けなくも)瞬時に成り立ち、また、自分の研究の進行状況ともそれはシンクロした。俺は苦境に立たされた。人間生きていく上でまっとうしなければならないもの——義。友達が就職を決めた。お祝いである。祝福したい。当然、私にとっての義である。一方、大学院生であるという身の上、親にも迷惑を掛けている、研究せねばならぬ。こちらも私にとっても義のように感ぜられた。うううむ・・・。結局折り合いは「夏休みにまた」という形で、幕を閉じたわけだが、なんかうやむやとしたものが残る。なんか、ダメな奴だ。よくよく考えてみると、研究なんていつでもできるではないか(?)。電車に乗りながらでも、バスに乗りながらでも…。それに引き換え、皆が集まって酒を飲み交わすなんて、しかもそれは祝い事である(!)。授業サボってでも、行くべきであった…のか…?う〜ん、とはいえ、とはいえなぁ…。
ひとつだけいえるだろうことは、大人になるにつれて、(正しいかどうかわからない)務めるべきことが自分に付きまとう。社会的要請というべきか?いずれにせよ、それは社会的な人間であれば、必然であろう。ただ、問題はそれが自分の義とそれが衝突したときにある。こんな内的衝突がなく、自分の義を貫き通せるような生きかたはいいと思うが、そうそうできることでもない。また、かといって、自分の義を捨ててしまって、義を貫き通す人に対して、それを蔑んだり、軽視してしまうのは愚である。やはり、中庸という形に落ちつくのか…。う〜ん、なんだか冴えんな。今日は当たり前のことを当たり前に言って終わってしまった気がする。よくわからん。
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